ID:85567
Kenの日記
by Ken
[99127hit]
■チャイコフスキー「フィレンツェの思い出(Souvenir de Florence)」について
時期的にピッタリ合致するかどうか詳しく分かりませんが、チャイコフスキーは13年間支援してくれた「メック夫人」の破産を、そして彼女は病気で床に臥せっていることを知って、メック夫人のために「弦楽6重奏曲」を作曲したのではないかと想像されます。チャイコフスキーとしては大きな交響曲ではなく病室に奏者を招けばベッドでも聞くことが出来る室内楽を選んだのでした。お世話になったメック夫人の別荘で今度はメック夫人を慰める為に「フィレンツェの思い出」を書いたのでした。
日本語では「思い出」と訳していますが単語は「Souvenir」です。多分メック夫人が二度とフィレンツェを訪れることがないだろうと考えたチャイコフスキーが「フィレンツェ」を音楽に託したのだと思います。更に言うと手紙の遣り取りとは別に「チャイコフスキーとメック夫人」が同じ時を過ごすことができた「フィレンツェでの時間」が「Souvenir」なのかもしれません。これはチャイコフスキーとメック夫人の二人にしか意味が分からない題名なのかもしれません。
因みにメック夫人の別荘はフィレンツェ市を流れるアルノ川の南の丘の上「Florence via di San Leonardo 64」にあったのだそうです。現在はグーグルマップで付近の様子を知ることができますが、大きな屋敷が点在する保養地のような場所です。フィレンツェ中心街へのそれほど遠くはありません。メック夫人は売れっ子作曲家となったチャイコフスキーの「お土産」を聴いてさぞ嬉しかったことと思います。そのメック夫人は交響曲6番「悲愴」を作曲した後数か月後に亡くなったチャイコフスキーを追いかけるようにして亡くなったのでした。
「フィレンツェの思い出(6重奏曲)」は必ずしもイタリア風とは言えません。むしろ3・4楽章はロシア風の旋律だと思います。しかしこの曲が「メック夫人の思い出」を描いた曲だと考えると納得できる点が多く在ります。最初にメック夫人に捧げられた交響曲第4番に似ている部分が多々あるように思えるのです。第一楽章の唐突なな濃密さ、ロシア風の旋律、印象的なピチカート等・・・。「フィレンツェの思い出」をこのように聞いてみるのも良いのではないかと・・・思います。
01月22日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る