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Kenの日記
by Ken
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■介護について
介護施設は入居者が元気な期間は問題ないのでしょうが、入居者の老衰が進む段階においては、医療行為はできませんから、どうしても安全サイドな介護(無理をさせない・寝ているのであれば敢えて起こして食事をあたえることにはならない)にならざるを得ない状況にあります。またこの段階で自宅介護を始めることによって、本人にどの程度回復させることが出来るかも不明です。この頃良く考えたのは、生まれたばかりの赤ちゃんが、毎日どんどん成長し、動きも活発化して食べられる物もどんどん増えて行くことの、全く正反対で、老衰が進行しつつある人間は、次第に食べられる物の範囲が狭くなり、水も飲めなくなって、身体活動も徐々に減り、身体の機能が次第に衰えて最期に心臓さえ動けなくなるのだろうということ。そして老人は身体は大きいし、時には文句を言う大人であるということ。
母の症状は「パーキンソン病」という病気なのか「老衰」の症状なのかは非常に難しいところでした。医学も非常に悩むところだと思います。医学は人間の命を救うことが目的であって、何もしないで「死」を受け入れることは医学の敗北に近いと考えることは想像できます。老衰の状況を何らかの病気症状と認識して治療によって延命させることが医学の役割であると言う考え方です。しかし赤ちゃんを育てることに較べると介護は家族にとって負担が格段に大きいし、医療費から介護の費用は無尽蔵ではありません。むしろ社会保障の会計はどんどん悪化しているのは明らかです。
市民病院の先生は非常に丁寧に話してくまれました。食事・水分の補給方法として、「胃ロウ経由」「経鼻管経由」「静脈管経由」の方法があり、そうした補給によって延命可能ではあるということ。一方でそのような処置を継続実施する場合の家族・施設の負担の増加、そのような処置に関連して肺炎、栄養の偏りなどの患者への負担・危険の増加について説明してくださり、最期は患者の覚醒状況とか今後の覚悟を含めた家族の判断でということで私達の判断を求めました。
母の反応は既にかなり乏しくなってきていて、こちらが話しかけても話し返すことが稀になっていました。この段階で私達が考えたのは、母に対して痛み・苦しみのないような最期を迎えられるようにすることでした。また介護する側にとっても過度な負担とならないようにということでした(過度かどうかは難しい問題ではあります)。私達の考えを聞いた先生のアドバイスは、この段階でこれ以上の人為的な栄養補給を停止して、家族が暖かく見守ることとしたらどうかというものでした。私達は先生のアドバイスに従うこととしました。先生はその期間は2週間程度だとおっしゃいました。
幸い介護施設が私達家族とともに母の面倒を見てくれることとなり、母は病院を退院して元の介護施設に戻りました。介護施設の方達は経験があるとは言え、毎日緊張の日々が続いたことともいます。私達家族は毎日最低一回は顔を見に行き段々反応が弱くなっていく母親を見守りました。母は嚥下能力が衰えたといっても、水を口に含ませると「ゴクッ」と飲み込みます。ほんの少しの水が「ひどく貴重で、美味しいもの」であるように飲み込みます。妻が目は見えなくとも耳は聞こえているいるはずだというので、生の音楽を聞かせることもしました。2週間しかない「命」は、儚いようでいて力強いものだとも思えました。
母は退院してから11日目に息を引き取りました。その朝はなんとなく予感はあったのですが、案の定通勤で会社の門までたどり着いたときに妻から電話が入りました。急いで自宅にとって返して施設についたのは午前も終わりに近い頃でした。母は酸素吸入装置をつけて息をするのも苦しそうでした。それから最期の見取りが始まりました。口に水を含ませると忘れた頃に飲み込みました。飲み込む度に「飲んだ〜」といってこえを出して喜びました。
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11月22日(木)
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