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Kenの日記
by Ken
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■トルコ航空、イスタンブール空港の印象
往路の飛行機の旅はスケジュール通りに終了し満足度が高かったのですが、逆に不満を感じたのはイタリアのナポリ空港でした。タラップの到着が遅れて飛行機内で待たされるやら、入国審査場のブースが少なくて長蛇の列ができるやらでした。入国審査はイタリア国籍、EU国籍、非EU国籍の三つに分かれているのですが、審査に時間がかかる非EU国籍ブースに並んだ乗客が最も多く外国人入国者の扱いに慣れていないのかパスポートチェックに大変時間がかかります。イスタンブールからの便で日本人(東洋人らしい)のは私達夫婦だけで、私達は直ぐに通してもらいましたが。さらにナポリ空港では免税品を売ろうとか飛行機でやって来た客を手厚く歓迎しようというような意識は全くないようです。速やかに空港を後にして大変混雑する空港リムジン(Aribus)で中央駅に向かいました。中央駅では日本から予約して支払いを済ませておいたカンパーニアアルテカードを受け取りました。そしてホテルに荷物を置いていよいよナポリ散策開始です。
ナポリに行ってみたいと思ったのはめったに行けないポンペイの世界遺産をぜひ見てみたかったのですが、無理して一泊することにしたのは本格的な「ナポリピザ」とナポリ民謡で有名な「サンタルチア」を始めとしてナポリの町を散策してみたかったからでした。ローマから一日コースでポンペイ周遊コースはあるのですが、街が危険なのか殆どバスから降りないルート設定になっていることが多いのです。
2000年前のポンペイの生活を知るためには、ポンペイの遺跡とナポリにある考古学博物館を見る必要があります。ポンペイから発掘された当時の生活用品・装飾品などの多くの「動産」はナポリの考古学博物館に収蔵されているのです(多くの素晴らしい遺物が盗掘にあったと思われますが)。私達はまず初日にナポリ考古学博物館を見学し、翌日のナポリからヴェスヴィオス周遊鉄道に乗ってポンペイを訪れることにしました。
***ナポリ考古学博物館***
ナポリ考古学博物館の展示には二つの目玉展示があります。一つはもちろんポンペイなどヴェスビィーオ火山の噴火(79年8月24日)でそのまま完全に埋没してしまった街から発掘された古代の人々が楽しみ・使っていた家の生活用品とか装飾品。そしてもう一つはファルネーゼ家が収集したローマを中心として古代都市から発掘された優れた彫刻です。
古代ローマではギリシャ彫刻を優れた技術で複製して有力な皇帝・貴族が飾っていたようです。それらが古代都市ローマの宮殿跡などから発掘されました。ファルネーゼ一族は芸術品収集に熱心なようで、そうした彫刻品等を精力的に収集したようです。ファルネーゼ家は16世紀に法王パウロ3世を輩出したのですが、この法王はローマ市内のファルネーゼ宮殿(現ローマのフランス大使館)建築のために大理石の発掘・使用など特権をファルネーゼ一族に与えたのでした。この特権のお陰でファルネーゼ家には膨大な量の大理石の彫刻品が集めることができたのだそうです。
名門だけに多くの芸術品に対する知識に加え、有力な枢機卿として豊富な財力があったようで、パウロ3世の孫のアレッサンドロ枢機卿は熱心に芸術品を収集しました。そしてこのファルネーゼ一族でナポリ王国の王になったのがチャールズ3世(1734年即位)でした。国王はファルネーゼ家の別荘など各地に保存されていたファルネーゼ家の膨大な収集品を相続したのでした。更にチェールズ3世がナポリ国王に即位した前後に偶然発掘されたのがポンペイの古代遺跡でした。芸術品に対する目利きの血筋を受け継いでいたチャールズ3世はポンペイからの発掘品の重要性に注目し自ら発掘の指揮をとったのだそうです。こうして古代ローマ、古代ポンペイから発掘された優れた芸術品がチャールズ3世の手元に集まりました。これらの芸術品を地震などからの被害から守るために現在あるナポリ考古学博物館が建設され展示されることとなったのです。
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03月23日(金)
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