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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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海ほたる画像好評なり、イイネ50億、リツイート3000億、そうそ、選曲CDRとかUSB500tracksとか、マンガの同人誌みたいにポプルスでミニコミ印刷したいな、と思い、PC画面をプリンタ印刷してみる、なにこれ、フォントがダサい、クルマでモニター画面に並ぶ選曲ジャケとタイトルの並びは美しいのに、
業務連絡、ヴォイス・オブ・ナガ VOICE OF NAGA / ナガ族 3CD 入手せりよ、これを聴かねば始まらない、のっけの第一章から斬りこむ音源だ、
『フィールド・レコーディングの現場から』津田貴司編著 カンパニー社 2022
http://musicircus.on.coocan.jp/
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hidesumi yoshimoto@hidesumix
2020年2月27日
ちなみにミャンマーの音楽は、フランク・ザッパ、エルメート・パスコアル、コンロン・ナンカロウ、あるいは長谷川白紙あたりの複雑骨折寸前な超絶アンサンブルで突っ走る系な音楽がお好きな方のツボにハマるものが多いので、その筋の方も是非この機会に。
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ここな ど「羞恥の欺瞞」に囚われると、その人の精神性が根底から破壊されていくことがよくわかる箇 所だ。シェーラーの怒りは、羞恥という人間にとって自然で基本的な感情が教育によって欺瞞的 なものによって侵されてしまうことに向く。それは順応至上主義的な教育への手厳しい批判とし て大いに意味を持つ。
併せてシェーラーの「羞恥は富むことができない」との指摘にも注意を払いたい。内田義彦の 「感想を狙いに本を読んじゃいけない」との警告と通ずる指摘だ。教育が商品化され出世主義の 手段と化す事態への危惧を我々はこれらから学びうる。 ルサンチマンのみならず羞恥に関しても シェーラーはニーチェの継承者であった。「羞恥する者を愛する」とニーチェは述べていた。
話を戻してまとめておこう。中動態が消失した世界では「好きになる」「恥ずかしい」「悪かっ た」「すまなかった」「放ってはおけない」などの人間として常に大切にしなければならない、基 本的な感情が欺瞞的な別の何物かにすり替わってしまうということである。それは実は鬼になる ことへと通じている道ではないのだろうか。
鬼滅の社会学
家族愛・武士道から〈俠の精神〉の復権まで
井上芳保 筑摩書房0234 2022 P269
11月05日(土)
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