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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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■その3
30年たってみて、音楽について言えば、時流的なものでもずっと支持されてゆくのもあるし、消費されて蕩尽されてしまうものもある、また、細いようで強度を持ってずっと聴き継がれたりとか、自分の中に残ったりしている音楽ってありますよね。まさに自分の好きだったジャズという音楽がかつてのクラシックのように殿堂入りから古典とよばれるようになってゆく瞬間を今体験しているんですが。30年というのは、意外と音楽の寿命というのが見えてしまう、という。すごく面白いなと思ったんです。だから、やっぱりあがたさんの音楽というのはいろいろ飛び火しているようでいながら、ひとつの統一感を持つというのは、やっぱり強度があるんだと思うんですよ。
「そう言われると、すごくうれしいですけどね。さっき言ったように、ひとには優しく接したいし、それこそヒーリング、っていうのは照れくさいけど、ひとを慰めたり、まあ慰めるだよな、傷付いていたり意気消沈していたりしたら、元気出せよと言ってあげれる音楽を基本的にはもちろんやりたいし。でも、現実のぼくらの置かれている場所というものは、それだけではやっぱり済まないということにおいて、同時にめちゃくちゃドンがっていたいし。じゃあ、ひとに優しく接してあげれることと、同時にトンがっていることと、それは曲によって別れたりとかね、ひとつの曲の中にそれを強度として封じ込めるというか盛り込むとかね、押したり引いたりああやってみたりこうやってみたりなんだけども。それがある種の柔らかさだけだったり、切れ味の鋭さだけだったり、それがうまくミックスしてあるものだったり、それがうまくいった楽曲もあれば、中途半端だった楽曲もあれば、アルバムごとにそういうことがあったりとか、いろいろなんだけども。でも、やっぱりぼくはリアルタイム性といつも思うし、今も聴いてほしいし、何十年後も聴いてほしいわけだよね。別にスタンダードになってクラシックの大家のように額縁になって音楽教室に飾ってもらうようなひとになりたいということでは決してなくて、でもやっぱり五十年後百年後にね、やっぱりぼくが十代の頃にポップス聴いて音楽にこう目覚めて、自分の生きてることとか自分の思春期のいろんなことをそこに凝縮されて育っていったよね。五十年後百年後の子どもたちが、たかだかあがた森魚の音楽聴いて、なんでこんなやつが五十年前百年前にいて、こんな面白いことやっていたんだ、って思ってほしいという欲はすごくある。うん。聴いてほしいし、もちろんその時おれはおそらくは生きていないだろうから、で、その時彼らと出会う、それこそ宇宙旅行するような、ものすごいシュールなロマンだと思うのね。つかのま、瞬間瞬間今の子どもたちにも聴いてもらいたいし、でも即座にヒットチャートに登るような音楽を作れるかどうかわからないし。自分のクオリティを落とさないで、自分の最低限のものを表現できるのは、あと5年なのかな、10年なのかな、とすごくシビアに考える。そうすると21世紀になったということも考えると、1年1年ほんとに大事にして気持ちを引き締めてやってゆきたいという思いはすごくあるし。」
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03月25日(木)
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