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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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■小沢健二『刹那』再論・詩の朗読+ヤンガルバレク4(1977年タレントスタジオ、オスロ)
(・・・いっきに2日分アップしたもんで、ひきつづき、きのうのもおねがいします・・・)

今日は、エドワード・ヴァン・ヘイレン(ギタリスト)の誕生日です。と、「ジャンプ」がかかります。ふむ、たしかに代表曲やし、ここの間奏のギター・ソロも完成された芸風の域に達しておりますが、ここはひとつ、ヴァン・ヘイレンが77年に、様式美化をひた走っていたハード・ロック界に小爆弾を落としたようなデビューシングル「ユー・リアリー・ガット・ミー」を聴きたかった。

▼小沢健二『刹那』再論(<12/27)
おざけんの『刹那』を聴いていると、じわじわとやってくるんですよ(ま、実際『Eclectic』という作品も、ある意味そうなんですけどね)。
9曲42分しか収録されていないぞー、刹那2なんか作るなよー、てな声もあるにはあったが。それ、小沢健二を理解してないです。
ミュージックマガジン2月号では、岡村詩野さんが「選曲だけだと6だが、曲そのもののクオリティは当然――10」、と、書いている。
そうです、当然、10なのです。今でも10なのです。これは重要なことです。
時を経ることによる音楽の劣化をこれほど受けていない事実にぼくたちはもっと衝撃を受けなければなりません。
そして、この小沢自身が選曲リマスターした9曲42分の構成の妙を聴き取らなければなりません。岡村詩野さん、選曲も10なんです。

1.流星ビバップ
2.痛快ウキウキ通り
3.さよならなんて云えないよ(美しさ)
4.夢が夢なら
5.強い気持ち・強い愛
6.それはちょっと
7.夜と日時計
8.いちょう並木のセレナーデ(ライブ)
9.流星ビバップ(インスト・トラック)

ぼくは思うんだけど、『LIFE』を『LIFE』たらしめているのは「いちょう並木のセレナーデ」なんだ。
「きっと彼女は涙をこらえてぼくのことなど思うだろ」、と、そんなことあり得ないことをわかっていて。
「よびかわしあった名前など」・・・。「今は忘れてしまったたくさんの話をした」・・・。
・・・よびかわしあったなまえなど・・・
これは、核心だと思います。
ひととひととが出会い、名前を呼びかわし、赤ん坊が生まれて名前をあたえて呼びかけて呼びかけられて、生きて、死んでゆく、すべて。

『LIFE』では、「いちょう並木のセレナーデ」のあとに「ぼくらが旅に出る理由」が配置されています。死と再生を思わせる構造です。そして最後にオルゴールで「いちょう並木のセレナーデ」の旋律が映画のエンドロールのように奏でられます。
この『LIFE』の閉じかたは、『LIFEパート2』を禁じていた、と、感じる。もし『LIFEパート2』が始まったら、『LIFE』の閉じかたは価値を損なう。

『ペットサウンズ』以降のブライアン・ウイルソン状態でもあっただろう小沢健二。

『刹那』の「いちょう並木のセレナーデ(ライブ)」〜インスト・トラックは、『LIFE』の「いちょう並木のセレナーデ」〜オルゴールを想起させる。
小沢健二のファンにとって瞬間と永遠は同義であることを知っている。
 >すべからく、素晴らしい音楽とは、瞬間と永遠が同義であることを告げている、と、思う。
だから『刹那』とは、『LIFE』の別名であるくらいわかっていてもいいのである。

小沢健二はフリッパーズ時代から、一枚のアルバムを発表するごとに、その一枚の中に、ふつうのアーティストが生涯をかけて表現するだけの大きなものをぎゅっと詰め込んでしまって、そのあとはまた、まったく違うアルバムを制作してしまう、という、そういうアーティストだと思う。

グルーブ感への傾倒。
モータウンとの契約が噂されたり、マーヴィン・ゲイのトリビュートに参加したり、そうしてスクリッティポリッティばりのスタジオワークを施した『Eclectic』を一昨年に発表している。
『Eclectic』は、歌詞が読み取れないアルバムだった。聴いていて、歌詞の意味するところが即座にはわかりかねる音楽となっていた。
いわば“詩性のオザケン”からも跳躍した場所に鳴っている音楽である。女性との濃密な関係性を暗示するエロティックなものと聴かれた。

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01月26日(月)
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