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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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■あがた森魚インタビュー (2001年5月、アウトゼア誌での取材) その1
「うん、ちょっと、ちゃんとがんばって企画すればね(笑)。」

あがたさんがやられている函館の映画祭の企画のほうは何年目ですか。

「始めたのは95年だから、今年で7年目になりますね。」

続きそうですか。

「続きますよ。ぼくはやめることはないけども、死んだあとも続くんじゃなかなあ(笑)。」

今年の映画祭はどんなことを。

「今年はね、篠原哲雄という映画監督、彼は93年に「草の上の仕事」を撮って、去年は「死者の学園祭」という深田恭子さんが主演された映画を撮って。今や大御所、というとちょっとおおげさだけど。今年は「蝶の住む家」という朝丘ルリ子さんが主演の、これまた大作なんだけど、こないだ総合試写があったばっかり。この篠原さんを監督に迎えて、シナリオを募集していたものを映画化するんです。いちおう夏にロケということになっています。ぎりぎり9月のあたまぐらいからになるかな。そういう映画を作ります。
 ぼくは、ここのところ「港のロキシー」とか「オートバイ少女」とか映画を作っているけども。自分が監督して映画を作ると、労力的にも金銭的にもすごくリスキーで。今回はぼく自身は、もちろん製作のほうには携わるんですけども、音楽ももちろんやりたいなと思っていますが、自分が演出するということじゃなくて、後ろからサポートする形になります。まあ、うちの映画祭に間に合わせるような形で完成させたらなあ、と思っています。」

こないだは北海道の美唄で栗コーダーカルテットと出かけていらっしゃたとか。『闇を掘る』という映画にあがたさんは音楽を付けられて。

「藤本さんが6年ほど前から夕張を中心に、道内のいろんな炭坑をドキュメンタリーにした感じで。ドキュメンタリーといっても、どんどん閉山していくから、その閉山後の炭坑に働いた人たちの追跡ドキュメント的な感じなんですけどね。たまたま藤本監督のほうから、映画撮るんで音楽やってくれと言われて、引き受けて。それで誰とやるといいのかなあと思ったのね。たとえば『日本少年』でとかいろんな形でお世話になっているいろいろな方々、たとえば矢野誠さん、矢野誠さんなら絶対ストリングスとかアレンジやったらものすごい仕事するのわかっているから、矢野さんかな、とか。いろんなひとの顔が浮かんだんだけども、栗コーダーカルテットがイメージに浮かんで。で、すごい仕事ができたね。栗コーダーさんとやって。」

そうですか。これはサントラのCD化の予定とかは。

「そうですね。サントラ、出したいですね。イメージテーマソングみたいのを歌っているんだけど。映画の中には使っていないんだけど。」

あがたさんは留萌出身で、函館にいる頃にディランを聴いて音楽を始められたということですが、その後もピロスマニアで小樽の祝津という地名が出てきたり、『永遠の遠国』の最初のヴァージョンでは函館から大沼への車内アナウンスが出てきたりと。あがたさんにとって遠国の像といったものは北海道にあるのかなと思ったんですけど。

「うーん。そうだねえ、そのあたり客観的に考えたこともないんだけどね。生まれ育ったところへの愛着とか親しみいったものは強くあるんだね。あまりそういうふうにしようしようと思っているわけじゃないんだけど…。北海道でもやっぱりぼくは港町ばかりで育ったので、海の見える場所への親しみ。映画なんかは特にね、『港のロキシー』とか。どうなんだろうなあ。自分でもよくわからないんだけども。ヴァージンVSのラストアルバム『羊ケ丘デパートメント・ストア』は鈴木慶一さんがプロデュースしてくれたんだけど、この中には<百合コレクション>が入っているんだけど。<寂しいトンガリ>という曲も入っていて、詩の作り方とか慶一くんの意見とかききながらいろいろやっていたんだけど。あがたにはいつも北の港町が多いから、と考えて、ここでは東京の湾岸っぽい歌詩をつけて、そういう景色の歌だったりするんだけど。するとね、作ってレコーディングする瞬間はいいんだけど、あたからまたライブでやろうと思うと、なんか気が乗らないんだよね(笑)」

どうしてでしょう。

「気が乗らないというのも変な言い方だけども、おれの原風景とちょっと違うなと思ってしまうんだね。」

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03月23日(火)
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