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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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妙齢ご婦人がたに、紀尾井ホールどちらでしょうかときかれる、あれ、ゆびさす、紀尾井ホールならまかせておけ、
同時刻、青山、紀伊國屋、ナンバー75のゴージャスロングベンツ、モデルか?、ま、松嶋菜々子さま、テレビで観るよりスレンダー、






でが再現されている。このうえなく精緻である。

では、拡大写真なのか? 似ていて、違う。いかにも、写真の拡大である。だが、機械を使っての拡大で ない画家が絵筆を使っての拡大なのである。

だが、なぜそんな廻りくどいことをするのか。 起死回生の策である。まず、(写真という名の)文明のなかに捉えられて、人間は無機質化して(死んで)いる。 その人間を絵筆によってふたたび有機質化しよう
(生かそう)とする。ただし、文明の規制力(写真)に厳格に従うこと によって、逆にその規制力の非情な むごたらしさをありありと現前(つまり告発)させようと試みる。

つまり、ハイパーリアリズムの描こうとするのは、人間の肖像ではない。そこに露になっている文明の刻 印である。 その点で、浮世絵はこの二〇世紀後半の前衛の遥かな先取りにほかならない。

アイドルの似顔絵、ブロマイド。しかし、そっくりそのままを、画家は描こうとするのではない。アイドルをアイドルたらしめている世間の好尚の(すなわち文明の) 様式、規制力、もう一つ言い直してファッション、それが画家の真の対象なのである。そこにあるのは、 さりげない「世のよしなしごと」を通しての、じつはした たかな文明への告発なのである。

宗左近
古美術幻妖
平凡社 1991


浮世絵とは、ことわるまでもなく「世のよしなしごと」を描いた絵である。 関心は人情世態風俗の現場に しかない。そこを離れない。神や仏などへの配慮は少しもない。空や川や海などが画面に現れることはある。
だが、それらは書き割りであるにすぎない。






【CD】未来に伝える三善晃の世界T,U,V
https://ebravo.jp/archives/150914

コジマ録音CD2枚組、





ずっとタッパごはんだった、内神田、くまめん、熊本ラーメン、

10月26日(木)
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