ID:70753
えすぱっ子
by ひかる。
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■Jユース杯 総括(ガンバ大阪戦)
00年12月29日11:00開始 長居スタジアム
 第8回Jユースカップ2000 Jリーグユース選手権大会 決勝
 対 ガンバ大阪ユース ※45分ハーフ
 天候:晴のち曇、観客数1234人

▼布陣
−−−−−−−長沼−−−−−−−

−仁科−−−−−−−−−−深澤−

−−−村松− 鈴木隼−杉山浩 −−

−森山−−高山−−渡邊−−高木−

−−−−−−−浅山−−−−−−−

控え:鶴田、天野、篠田、河合、枝村、杉山拓、日高
交代:後半00分:深澤→日高、後半34分:長沼→天野、後半39分:仁科→枝村

ガンバ大阪ユース:

−−−−−浅野−−羽畑−−−−−

−−−−−西村−− 榊 −−−−−

− 寿 −−−−古家−−−−阿部−

−−−児玉−−江本−−井川−−−

−−−−−−−日野−−−−−−−

控え:木村、山本、寺田、美村、高橋、長峯、島川
交代:後半39分:羽畑→島川


▼ここまでのあらすじ
 Jユースカップは、9月上旬から11月末にかけて行われるH&Aのリーグ予選を経て、12月中旬に決勝トーナメントを行う、クラブユースにとっての集大成的な大会。清水は大宮、東京、V川崎、川崎Fと予選リーグを戦った。しかし、緒戦のホーム東京戦で長沼、途中に行われた国体選抜の練習で塩澤・村松、国体で高木・深澤が負傷。特に塩澤は、全治4ヶ月の大怪我(その後、怪我の回復が悪く、塩澤はプロ1年目を棒に振る)であった。全員でも18人(3年5人、2年6人、1年7人)と、極端に少数精鋭主義を採る清水ユースにとって、主力選手の離脱は致命傷になりかねなかったが、この人がいれば何ら問題はなかった。
 キャプテンでボランチの8番、鈴木隼人。彼が、確実なキープから繰り出す、球足の速いロングパスは、正確に相手の急所と突き、攻守にわたって圧倒的な存在感で、試合を支配。下級生たちは彼によって牛耳られたフィールドで、生き生きとプレイすることができた。チーム事情から年間を通じて起用されてきた1年生CB、渡邊優希と高山純一は急成長を見せ、とりわけ高山は、U-16代表でも不動の存在になった。途中から怪我が回復した長沼圭は、着実なポストとゴール前の積極性がチーム戦術に消化され、復帰後の8試合で11得点という見事な結果を残す。清水は、予選8試合を35得点10失点で堂々と1位通過する。

 決勝トーナメントでは、トップの監督に昇格したゼムノビッチ監督に代わり、深澤コーチが指揮したが、それまでの4−4−2(中盤フラット)から、5ヶ月の怪我から復活した杉山浩太を軸とした特殊な4−3−2−1システムを採用する。システムに戸惑いが見え隠れしていたが、それでも福岡に5−0、鹿島にも5−0と完膚なきまでに粉砕し、宿敵横浜ユースとの準決勝を迎えた。
 この試合、怪我で鈴木隼人がベンチ、穴を埋めるべき深沢も風邪で体調不良。一時、清水は0−3という絶望的な数字を叩きつけられる。しかし、後半、深澤と交代で出場した鈴木隼人は、ピッチ内でシステムの修正を図る。自らはトップ下に移動、他のポジションにも微調整を施し、本来の4−4−2に近い形(4−2−3−1)に変更したことで、隼人の試合支配力が回復し、主導権を奪取に成功する。結果、4−3の大逆転で夏の雪辱を晴らすことができた。
 そして、12月29日のガンバ大阪戦を迎える。


▼試合展開
 もはや、鈴木隼人の実効支配地域を縮小させ、高木純平のオーバーラップのスペースを消し、また突破力のない長沼圭に1トップを強いるなど、多くの問題点を抱えた新システムは、限界を迎えていた。前半はシュート1本に抑え込まれる瀕死の状態。長沼が完全に井川に封じ込まれ、風邪気味の深澤がプレスに慌ててミスを連発、突破口の日高は怪我で先発を外れ、4−3−2−1システムの核を担う選手が機能不全に陥ったのが大きかった。

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12月29日(金)
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