ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「『患者さま』と呼びましょう」により、病院の中で起こったいくつかの変化
『街場のメディア論』(内田樹著・光文社新書)より。
【少し前に、ある国立大学の看護学部に講演で招かれたことがありました。講演の前に、ナースの方たちと少しおしゃべりをしました。そのときに、ナースセンターに貼ってあった「『患者さま』と呼びましょう」というポスターに気づきました。「これ、なんですか?」と訊いたら、看護学部長が苦笑して、そういうお達しが厚労省のほうからあったのだと教えてくれました。
僕はそれを聞いて、これはまずいだろうと思いました。これは医療の根幹部分を損なう措置なんじゃないかと思って率直にそう言いました。その場にいたおふたりとも頷いて、興味深い話をしてくれました。
「患者さま」という呼称を採用するようになってから、病院の中でいくつか際立った変化が起きたそうです。一つは、入院患者が院内規則を守らなくなったこと(飲酒喫煙とか無断外出とか)、一つはナースに暴言を吐くようになったこと、一つは入院費を払わずに退院する患者が出てきたこと。以上三点が「患者さま」導入の「成果で」ですと、笑っていました。
当然だろうと僕は思いました。というのは、「患者さま」という呼称はあきらかに医療を商取引モデルで考える人間が思いついたものだからです。
医療を商取引モデルでとらえれば、「患者さま」は「お客さま」です。病院は医療サービスを売る「お店」です。そうなると、「患者さま」は消費者的にふるまうことを義務づけられる。
「消費者的にふるまう」というのは、ひとことで言えば、「最低の代価で、最高の商品を手に入れること」をめざして行動するということです。医療現場では、それは「患者としての義務を最低限にまで切り下げ、医療サービスを最大限まで要求する」ふるまいというかたちをとります。看護学部長が数え上げた三つの変化はまさにこの図式を裏書きしています。
厚労省がこんな奇妙な指示を発令したのは、彼らが社会関係はすべからく商取引モデルに基づいて構想されるべきだという信憑の虜囚になっているからだと僕は思います。
小泉純一郎内閣のときににぎやかに導入された「構造改革・規制緩和」政策とは、要するに「市場に委ねれば、すべてうまくゆく」という信憑に基づいたものでした。「市場原理主義」と呼んでもいいし、「グローバリズム」と呼んでもいい。行政改革にも、医療にも、教育にも、さまざまな分野にこの信憑がゆきわたりました。
すべては「買い手」と「売り手」の間の商品の売り買いの比喩によって考想されねばならない。消費者は自己得利益を最大化すべくひたすらエゴイスティックにふるまい、売り手もまた利益を最大化するようにエゴイスティックにふるまう。その結果、両者の利益が均衡するポイントで需給関係は安定する。市場にすべてを委ねれば、「もっとも安価で、もっともクオリティの高いものだけが商品として流通する」理想的な市場が現出する。市場は決して選択を誤らない。というのが「市場原理主義」という考え方でした。
そのモデルを行政もメディアも、医療にも適用しようとしました。その結果が「できる限り医療行為に協力せず、にもかかわらず最高の医療効果を要求する患者」たちの組織的な出現です。
僕はそういう患者のありようについて、個人的な人格的欠点をあげつらってもあまり意味がないだろうと思います。だって、これは患者たちひとりひとりの個別的な選択ではなく、イデオロギー的に勧奨されたふるまいだからです。そういうふうにふるまえば、どんどん医療の質が上がりますよ、と。そう言われたから、患者たちは、おそらくは善意に基づいて院内規則を破ったり、看護師に暴言を吐いたりしているのです。僕が問題だと思うのはこのことです。
自分が「悪いことをしている」という自覚があって、それでも「公共の福祉より自己利益を優先させるぞ、オレは」と肝を括って悪事をする人間なんか現実にはほとんどいません。人間はなかなかそんなに悪くはなれない。人間が悪いことを平然とできるのは「そうすることがいいことだ」というアナウンスを聞きつけたからです。
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09月11日(土)
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