ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■『ゴルゴ13』が無口になっていった理由
『俺の後ろに立つな―さいとう・たかを劇画一代』(さいとう・たかを著・新潮社)より。

【ゴルゴにしろ、無用ノ介にしろ完璧とは程遠く、スーパーマンになりたいという願望、あるいはスーパーマンになりそこなった人物なのだ。ゴルゴも無用ノ介も世間に背を向けたその生き様を納得しているわけではない。自分の弱さに慄き、もがきながら自分自身と折り合いをつけて生きている。私にもお袋の嫌った絵を生業としているという後ろめたさがあり、そのやるせなさを糧に劇画道をまっしぐらに歩み続けている。ゴルゴにも無用ノ介にも、そんな私のDNAがしっかり受け継がれているのである。
 そういった意味では、どの作品の主人公も私にとっては、わが子同然の存在。女性は謎だらけとは言うものの、女性と同じように生みの苦しみと喜びを経験してきた。彼らが人間の子どもと違うのは、多くの読者に見守られて成長したということ。もちろん、世間様に受け入れられるよう道筋はつけてやらなければならない。これもまた人様と同じで、盲目的な愛し方をするとうまく育たない。時には突き放さないと主人公を冷静に描き切れなくなり、思いも寄らぬ方向へと物語がころがっていってしまうのだ。
 そのことを嫌というほどに思い知らされたのが無用ノ介だった。賞金稼ぎを生業としているということは、紛れも無くアウトローである。しかし、根っからの悪人になりきれず、同じ非道を歩む巨悪と対峙する羽目に遭い、ついお人好しを演じてしまい、時には他人のために涙するおセンチな一面を覗かせたりする。無論、人の道を外れた賞金稼ぎに違いはない。それは百も承知なのだが、そんな人間味あふれる無用ノ介にほだされて、つい、こんなことは言わせたくない、させたくないと書き手までが心揺さぶられ、おセンチになってしまう。終いには、なんとか賞金稼ぎというやくざな稼業から足を洗わせる方法はないものかなどと、それこそ無用な悩みに振り回されることがしばしばあった。
 そんな自分がもどかしく、無用ノ介をおセンチ劇画と呼び自戒していたのだが、連載終盤はがんじがらめで息苦しさに喘ぎ続けていた。言わずもがな、無用ノ介が賞金稼ぎをやめた時点で劇画の幕は下りてしまう。つまり、私の無用ノ介溺愛が行き詰まりを招いてしまったのだ。
 この苦い経験から、ゴルゴ13とはできるだけ距離を置いて書くように気をつけた。それっでも連載スタート当時は、今よりも口数はかなり多かった。自分の感情を何げない時にポツリと呟いたり、他人に対して意見めいたことを言ったりしたこともある。しかし、距離を置くことでどんどん台詞を減らしていった。ゴルゴの職業柄、無用ノ介と同種の悩みを抱えてもおかしくなかった。それでも彼はそれを口にしないし、思わせぶりな行動も起こさない。いたって冷静にプロの狙撃手としての体面を保っている。
 その結果、ゴルゴはあのような口数の少ないキャラクターに育ち、仕事に不必要なことはほとんどしゃべらなくなり「……」と表現されることが多くなった。この独り言ともつぶやきともつかぬゴルゴ13の「……」は、読者それぞれで解釈していただいて一向に構わない。
 ファンレターの中にも、ゴルゴ13の誰にも聞こえないはずの「……」のつぶやきをその人なりに解釈してくれたものが少なくない。なかには作者の私が思いつかないような見事な台詞をゴルゴに言わせてくれる人もいて、それはそれなりに面白く、楽しみにしている。
 期せずしてゴルゴの「……」は、読者参加的な試みになっている。その試みが、ひいては読者の主人公に対する愛着にもつながるのではないだろうか。もし、そうだとしたらこれ以上に劇画作家冥利に尽きることはない。時分の子どもが社会に出て様々な人と出会い、成長していくように、作品もまた読者に触れることで、作者という親の想像を超えるほどに発展するものだ。】

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 「自分の作品の登場人物は、子どもみたいなものだ」という話はよく耳にするのですが、キャラクターへの思い入れが強くなりすぎるのも、いろいろと大変な面もあるようです。

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08月28日(土)
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