ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■知らず知らず、「ブログに書きやすい毎日」を過ごしてしまう人々
『自由をつくる 自在に生きる』(森博嗣著・集英社新書)より。
(「ブログの罠」という項から)
【これに似たことが、インターネットで大いに普及したブログにも観察される。あれは基本的に自由になんでも書いて良いはずのものだけれど、もちろん実情はそうではない。人目を気にしなければならない。そこが従来の日記とはまったく異なっている。
本当は誰も読んでいないかもしれない(その可能性は非常に高い)のに、仮想の大勢の読者を想定して(自分の行為が注目されているものと妄想して)、ブログを書く人は多いだろう。そういう心理がよく表れている文章が散見される。冷静になって観察すると、酔っぱらってハイテンションになっているときのようにも見える。
本来、自分の時間は自分のためにある。何をするかは自由なはずだ。
しかし、ブログを書くことが日常になると、ついブログに書けることを生活の中に探してしまう。人が驚くようなものを探している。写真に撮って人に見せられるものを見つけようとしている。たとえば、1年かけてじっくりと考えるようなもの、10年かけなければ作れないようなもの、そういった大問題や大作ではなく、今日1日で成果が現れるような手近な行為を選択するようになるのだ。
知らず知らず、ブログに書きやすい毎日を過ごすことになる。
これは、「支配」以外のなにものでもない。人の目を気にし、毎日のレポートに追われるあまり、自分の可能性を小さくする危険がある。充分に気をつけた方が良いだろう。
そういう人は、ためしにブログを1ヵ月くらい休むと良いかもしれない。人に見せない、というだけで、自分が選ぶものが変わってくる。
誰にも見せない、誰にも話さない、としたら、貴方は何を選ぶ? 自分のために選べるだろうか。自分が本当に欲しいもの、自分が本当に好きなものは何か、と考えることになるはずだ。ものを買うとき、選ぶとき、他者からどう思われるかを判断基準にしている、少なくとも、その基準が大半を占めていることに気づくはずだ。
ある程度はしかたがないこととはいえ、他人の目を気にしすぎると、いつか虚しくなるときが来るだろう。何のために自分は生きているのか、他人のためではない、自分のためではないのか、と……。】
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これは本当に身につまされる話だなあ……
僕もけっこう長い間(この「活字中毒R。」は8年以上、別のところでやっているブログも、もう7年近くになります)ネットに文章を書き続けているのですが、確かに、ここで森先生が書かれているように、ネタ集めのために「自分が本当に読みたい本や観たい番組よりも、話題になっている、あるいはなりそうなもの」を優先するようになってしまった気がします。
少なくとも、ネットで文章を書きはじめる前は、こんなに流行を追う人間じゃなかった、と自分では思っているんですよ。
流行に対して批判的なことを書くにしても、結局、『恋空』の映画とか観てますしね。ブログのような「発表する機会」が無ければ、絶対に観なかったはず。「つまらない、嫌いであることを確認するために時間を費やす」ことが、「建設的」だとは思い難い。
本来は、森先生が書かれているように「1か月や1年かけて積み重ねていくもの」に挑戦したいのに、つい、手軽ですぐに「反応」がかえってくる「140字のつぶやき」に行ってしまうのも事実です。
いろんな人のブログを読んでいると、身内の不幸や恋人とのトラブルなどを赤裸々にネタにしている人も、まだまだけっこういるのです。
僕自身も、それで痛い目にあったことがあるのですが、なんというか、たかがネット上のひとつのブログであっても「表現する」という行為には、どんどんエスカレートしていって、歯止めが利かなくなってしまう怖さがあるんですよね。読んでいる人が「そんなこと、書いていいの?」と思うような内容でも、書いている側は、「書いているのは自分の責任だから構わないだろう。どうせ知り合いは誰も見ていないはずだし」と考えてしまう。
ネットの世界は、広くて狭い。
ブログのネタのために、実生活が「犠牲」になってしまう場合だってあるのです。
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02月12日(金)
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