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活字中毒R。
by じっぽ
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■『スペースインベーダー』をたった一人で作った男
『週刊ファミ通』(エンターブレイン)2009/5/1号の記事「『スペースインベーダー』生誕30周年〜空前のヒットを支えた知られざる舞台裏」より。(『スペースインベーダー』の開発者・西角友宏(にしかど・ともひろ)さんへのインタビューから。「」内が西角さんの発言です)
【『スペースインベーダー』が誕生した70年後半のゲーム業界は、アタリ社の隆盛もあり、完全にアメリカ主導のものだった。遅れをとっていた日本のゲーム業界は、まさにアメリカに追いつけ追い越せの状況。しかしながら、現在のように開発キットなどの環境が整っているわけではなく、ゲーム開発と言えばアメリカ産の筐体を解析し、似たようなゲームを作るのが精いっぱいの時代だったという。
『スペースインベーダー』を作った西角友宏氏(現ドリームス代表取締役)もそんな混沌としたゲーム業界の中にいた。「真似ばかりの日本のメーカーもオリジナル作品を模索していた時期。そのひとつの方向性として、グラフィック重視が叫ばれていて、ただの四角や三角ではなくて、クルマならクルマらしい形にしようという流れがありました」とその当時を振り返る。
業界全体がリアル志向へ向きかけたときに、アタリ社の『ブロックくずし』が発売され、ヒットする。これが西角氏のゲーム哲学に大きな影響を与えることになる。
「グラフィックをリアルにしようという思想とは真逆の作品でした。でも、ゲームはグラフィックではなくて、遊びがおもしろいものがうけるんだとハッとしましたね」
原点回帰とも言えるシンプルな遊びに、西角氏は『スペースインベーダー』へのヒントを得たという。「ブロックを崩したときの爽快感、とくに残りひとつを崩したときの達成感はゲームに入れ込みたい」。インベーダーが大軍で襲ってくる発想はここからだ。
もうひとつ、西角氏が決めていたのがマイクロコンピューターの導入だった。当時はハード、ソフトという概念はなく、すべてロジックICという集積回路の組み合わせでゲームを制作するのが常識。ソフトのプログラミング次第でゲームの幅が広がるマイクロコンピューターは理想的な開発環境だ。西角氏はすぐさま購入……ではなく、まず着手したのはハードの”解析”。なんとマイクロコンピューターを使った開発ツールから作り始めたのだ。
「当時1000万円以上したので会社が買ってくれなかったのです(笑)。それまでの解析、応用作業の積み重ねが役に立ちました」と西角氏はサラリと話したが、現在では考えられない離れ業。
ちなみに強調しておくが、当時の開発メンバーは西角氏ひとりであった。マイクロコンピューターの日本語の資料などは当然ないので、辞書片手に文献を読みあさり、実際に作っては改良していく試行錯誤をくり返したという。相当苦労しただろうと思いきや、「マイクロコンピューターを使ったゲームをいちばん最初に作りたいという気持ちが強かったので、あまり苦労は感じませんでしたね。開発ツール作りに熱中しすぎちゃってゲーム開発が進まないこともありました」とむしと楽しくて仕方がなかったと話す。『スペースインベーダー』の画期的なところは、”敵が攻撃してくる”という双方向型を実現したところだが、マイクロコンピューターという強力な援軍と、西角氏のたぐいまれな創作意欲がこの発明を生みだしたのだ。
西角氏の渾身作『スペースインベーダー』は最初から順風満帆だったわけではない。当時のシューティングゲームは、一定の点数を越えれば時間が延長されるという”最低でも1分半遊べる”という暗黙の決まりがあった。一方で、『スペースインベーダー』には時間的保証はない。しかも、時機が残っていてもインベーダーに侵略されれば即ゲームオーバーという辛口な設定。営業担当からは「シビアすぎて、ゲームの仕様を直したほうがいい」というクレームが幾度となくついた。
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04月25日(土)
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