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活字中毒R。
by じっぽ
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■三谷幸喜さんが「僕は映画監督として結構いけるんじゃないか」と思った理由
『BRUTUS』2008/6/15号(マガジンハウス)の特集記事「ザ・三谷幸喜アワー」より。
(特集のなかの三谷幸喜さんと糸井重里さんの対談記事の一部です)
【三谷幸喜:映画の世界は職人さんであふれていますが、実は一番の職人は俳優じゃないかと思うんです。例えば、佐藤浩市という役者はすごい職人。どこから撮られるか、どのへんまで映っているのかということを常に意識して、芝居をされる。
糸井重里:あの役を、ちょっとだけわざとらしいアホなアクション俳優にするのは簡単だと思うんだけど、佐藤さんはあいつを見ていて泣けるというところを残している。そんなにできる人はいないですよね。それに、あの髪の毛の分量がちょうどいい。もし、あれが藤岡弘の分量になると多いんですよ。
三谷:トゥー・マッチな感じ。一般人としてはちょっと多い。でも、あれより髪が薄かったら、ちょっと哀しすぎる。
糸井:同じく、深津絵里さんのグラマーじゃないぶりも素晴らしかった。もう少し肉があると必死のずるさが出ない。そして、西田敏行さん演じるボスが深津絵里さん演じるマリを本当に好きなんだということが、ちょっと肉が増えると、「あっ、肉ごとだな」と……。
三谷:生々しくなりますよね。あれより細かったら、またちょっと。
糸井:それが同情になったり。
三谷:そう考えると、監督をするということはどういうことか、おぼろげなから見えてきた気がして。それは、アングルを決めるとか芝居をつけるということだけではなく、もっと本質的なもの。極端に言えば佐藤浩市の髪の量とか座り方とか、監督が全部決めなきゃいけない。そういうところにこそ監督の真価が問われるんじゃないか。
糸井:サイズとか色とか天気とか仕様書には書きづらいけれども、頭の中では分かってるスペックみたいなものがセンスなんでしょうね。
三谷:ただ、そこに注目する人はまずいない。髪の量がよかったみたいなことを言うのは糸井さんくらいです。でも、本当に大事なのは、そういうことなんだなという気がしています。
糸井:今はマーケティングの時代ですから、話し合ったら分かるということは、頭のいい人はみんなさんざんやるんですが、それはやっぱりおもしろくなくて、「いや、できちゃったんだよ」という感じ、それを信じ込むというか、佐藤浩市の髪の分量というのは、佐藤浩市という運命を信じるしかない。感動という言葉もなんですけれども、「いいな!」と思うのはそこでしたね。
三谷:でも、髪の分量でキャスティングしたわけじゃない(笑)。
糸井:もちろん(笑)。
三谷:それはもう運命ですよね。
糸井:運命です。運命ごとキャスティングしている。深津さんのグラマーじゃないぶりというのも、それで選んだというわけじゃないですからね。西田敏行をどう描きたいかというところに西田さんの知性のあり方に対する敬意があって、その敬意を払う西田さんが選ぶ本当に好きな女というのは、ふらふらと下半身でいっちゃったものでは困る。監督はそこまで書いてはいないけど、当然知っているはずで、お客さんに「うれしい」と思わせるのはそこなんですよね。
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06月08日(日)
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