ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■携帯電話ビジネスにおける、「着うた」という一大転換期
『ケータイ小説活字革命論』(伊東寿朗著・角川SSC新書)より。
(「魔法の図書館」プロデューサーとして、『恋空』などをプロデュースした伊東さんが語る「黎明期のケータイビジネス」の一部です)
【エンドユーザーから課金するすべを持ちにくかったPCインターネットと違い、インターネットに接続できるようになった当初から、ケータイの通話料金徴収システムに乗じて、キャリア(NTTドコモ、au、ソフトバンクといった通信業者)がコンテンツ課金の料金徴収を代行する仕組みを持っていたケータイでは、公式サイトのビジネスモデルがいつしか確立していた。
キャリアの審査をクリアすれば、コンテンツに対してエンドユーザーからダイレクトに利用料をとることができる。また、サービスを提供するサイトへのアクセスも、ケータイからインターネットに接続するのに最も接続しやすい、キャリアが用意したメニュー画面から、細分化されたジャンルのディレクトリーを辿るだけという、簡易さがあった(もちろん、PCと同様、アドレスを直接打ち込んでアクセスすることもできたが)。
公式サイトの各種ジャンルの中で特に、好みのメロディの着信音をダウンロードして自分のケータイに設定できる着信メロディ(着メロ)のサービスは、公式サイトのマーケットを一気に広げる起爆剤になった。着メロは、いわゆる音楽配信に当たるわけだが、楽曲の音源そのもの(原盤)を使用するわけではなく、原曲をアレンジした音源を新たに作って配信するため、比較的率の低い権利料を、日本音楽著作権協会(JASRAC)などの著作権管理団体に収めるだけで配信が可能となり(音楽業界は、こうした権利料をシステマティックに権利者に配分する仕組みが整備されている)、配信サービスを行う側としては、選曲とアレンジの質で勝負すればよかった。
サービスを提供するコンテンツプロバイダーとしては、おいしい商売だったはずだ。比較的資本の小さい会社でも参入しやすいというメリットもあった。実際、この時期に着メロの事業だけで、規模を飛躍的に大きくするモバイル関連の会社が続々現れ、それに乗じて株式上場するところも少なくなかった。しかし、やがて、ケータイのスペック向上で着信音にオリジナルの音源を使うことが可能になり、着メロの先を行くサービスとして新たに”着うた”が登場すると、様相は一変する。
着うたを配信するためには、原盤を持つ権利者の許諾が必要になり、権利者側が断然有利になった。着メロの時代に、自らが原盤権を持つ楽曲で自由に商売され、いわば自分の褌で相撲を取られていた感のあるレコード会社などの権利者が巻き返しを図り、それまでおいしいとこ取りをしていたと言えなくもないコンテンツプロバイダーは、楽曲使用の権利の許諾を得るために、権利料の高騰を甘んじて受けるようになってきた。音源がまったく同じでは、アレンジの質や工夫で勝負ができるわけもなく、資金や政治力の勝負になっていく。さらには、テレビCMなどマスメディアを使った宣伝で他との差別化を図り、マスに対して広く訴求するところも続出し、体力勝負の段階に入ってきた。
こうした着メロから着うたへのビジネススキームの変遷の一方で、公式サイトの市場そのものも飽和状態になりつつあった。着信系のサービスでは、デコメ(デコレーションメール)のサイトなど、新しいジャンルのサイトも登場したが、全体の参入数が多く、キャリアの厳しい審査を通っても、なかなか簡単には商売になりにくい時期に差しかかっていた。】
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僕はもともと着信音にあまりこだわりがありませんし、マナーモードにしていることがほとんどです。
「着メロ」の流行り始めの時期には、「携帯電話でこんなにキレイな音が出るようになったんだ!」と感心していろんな曲を鳴らしてみた記憶があるのですが、「着うた」が話題になったときには、「どうしてわざわざ自分が好きな歌を公共の場所で大音響でアピールしなきゃいけないんだ?自分の家や携帯オーディオで聴けばいいはずの『普通の音楽』をなんで着信時に鳴らす必要があるの?こんなの流行らないだろ……」と感じたものです。
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05月28日(水)
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