ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「所詮、『忙しさ』なんてその程度のものだ」
『工作少年の日々』(森博嗣著・集英社文庫)より。
(「忙しさとは」というエッセイの一部です)
【そうだ。今日は、飛行場の草刈りだった。これも一般に意味が通じないと思うので説明しよう。ラジコン飛行機のクラブに入っている。あれは、スネ夫君みたいに住宅街の空き地や公園で飛ばせる代物ではない。道路も人家も近くになく、とてつもなく広い場所が必要で、それでも万が一の事故に備えて保険に入るくらいなのである。僕は三重県にあるラジコン飛行機のクラブに入っている。もう20年近くそこのメンバだ。高速道路を飛ばして1時間ほどかかるところにクラブが管理する模型専用の飛行場があって、周囲は田園と川、滑走路は長さ100メートル幅20メートルほどの一面の芝。その周囲の雑草を年に2回刈る。このイベントが「飛行場の草刈り」である。
メンバは、この草刈りには絶対に欠席できない、というルールがあって、どんなことがあっても行かなければならない。雨でも中止になったことはない。根性の草刈り大会である。
40人くらいのおじさんたちがメンバで、僕はだいたい年齢的に真ん中くらい。医師も会社員も議員も公務員もいるが、何の仕事をしているのかは、まったく話題にならない。飛行機の話しかしないからだ。普段の週末には10人も集まれば多い方であるが、草刈りの日は全員参加。大勢が一斉にエンジン草刈り機を回して1時間半ほど作業をする。僕自身、ここ以外で草を刈ったことは一度もない。草刈りは飛行場でするものだと思っている。草刈り機はクラブ所有のものが20機ほどあるのだが、自分の草刈り機を持ってくる人も半数近くいて、それがとても羨ましい。僕もいつかマイ草刈り機を持ちたいと考えているが、どうも1年に2回だけしか使わないものだという気がして、なかなか買えずにいる。だいたい、草刈り機が載せられるような自動車が森家にはない、という家庭の事情もあるため、もし草刈り機を買うならば、そのまえにまずそれ用の自動車を1台買う必要があるだろう。
さて、何が言いたいのかといえば、どんなに忙しくてもメンバは全員草刈りにやってくる、所詮、「忙しさ」なんてその程度のものだ、ということだ。
忙しさというのは、結局のところ、「忙しく」見せかけて、「やりたくないこと」から自分を防御するための偽装にすぎないのでは、という気がしてならない。
多くの忙しさは、自分で望んで設定した忙しさだったりする。もっと早くやっておけば良かった。ぎりぎりまでやらずにいたのは、忙しくしないとできないほどつまらないものなのか、あるいは、ぎりぎりにやった方が短期決戦になって好都合なのか、誰かがやると思って様子を見ていたけれど、予想どおり誰もやらなかったものなのか、いろいろケースはあるにせよ、どれも、自分で予想して招いた(あるいは育てた)忙しさなのである。現に、「来週から再来週にかけて、忙しくなるから」なんて口にしたりするではないか。忙しくなることが予想できているのだ。予想できている忙しさなら、事前に何か手を打って回避すればよさそうなものだが、それもしないところをみると、なんとか凌げる程度の、取るに足らない「小粒の忙しさ」であるということ。本当に、どうしようもない「ジャイアントな忙しさ」なんてものは、まずお目にかかったことがない。
いや、うちの会社では、もの凄い忙しさがある、という方もいるのかもしれない。死にものぐるいでやらないと、本当に過労死してしまうくらい忙しいのだ、と主張する人もいるだろう。しかし、現代の日本では奴隷制度はない。真面目な話、死ぬほど忙しいのならば、そんな仕事は辞めれば良い。死ぬくらい辛いのならば、転職すれば良いだろう。それをしないのは、ある意味で、今のその状況をあなたが望んでいるから、と言われてもまちがいではない。そう、忙しくしているのが好きな人は、しかたがない。ほら、またなんか能力開発セミナっぽい話題になっている。違う違う、そんな話がしたいのではないのだ。
つまりはですね、「毎日徹夜だよ」と忙しさを強調し、自慢げに話す人間が、どうも好きになれない、ということ。極端にいえば、「勝手に忙しくしていたら?」と思う。
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02月29日(金)
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