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活字中毒R。
by じっぽ
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■「三島由紀夫さんほど、『老い』を怖れ憎んだ人を知りません」
『文藝春秋』2007年9月号(文藝春秋)の「特別対談・老いること、死ぬこと」と題した、石原慎太郎さんと瀬戸内寂聴さんの対談の一部です。

【石原慎太郎:「老い」と言えば、三島由紀夫さんほど、「老い」を怖れ憎んだ人を知りません。

瀬戸内寂聴:三島さんは老いることが怖かったんですね。あんなに怖がる人というのは、どういうことかしら?

石原:それは歪(いびつ)な肉体を持ったからですよ。ボディービルでいかにも人工的な、実際はまったく役に立たない肉体を作り上げて、虚飾の肉体に魅せられてしまったからです。あれは周りもよくない。写真家の細江英公があの聖セバスチャンの殉教のポーズで有名な『薔薇刑』なんていうつまらん写真集をだしたりして、みんなでチヤホヤした。それで三島さんは、自分が完璧に近い肉体を持ったと錯覚してしまう。その肉体を「老い」によって失うことを恐れたんですよ。

瀬戸内:『薔薇刑』は三島さん自身の案で細江さんの責任じゃないんですよ。でも、晩年はもう異常なほど、老作家を憎んでましたよね。

石原:デビューして間もない頃は、年をとったら名前の綴りを「魅死魔幽鬼翁」にするんだって言っていたんですがね。そのくらいの気持ちでホモセクシャルであることを隠さず、老いることをも恐れずにいたら、官能に耽溺できるすばらしい小説を書いたと思います。しかしあの人はそれが出来ず、老いるかわりに衰弱してしまいました。だから、きちんと老いるということは、作家にとっても重要なことなんだな。

瀬戸内:私が冗談で「三島さんのこと天才だと思っていたけど、天才は夭逝するはずだから、もう四十過ぎてしまって天才じゃなくなったのね」と言ったことがあるんですよ。そしたら「ほんとうにそうだ、自分は三十代で死にと思っていたのに残念だ」って真面目な顔して言われました。

石原:老いとの折り合いをうまくつけることが出来なかったんでしょうな。

瀬戸内:石原さんがデビューした時は、ほんとにカッコよかったから、三島さんはうらやましかったでしょうね。

石原:三島さんは、ボディービルをやりだしてから、すごく自信を持っていました。僕が、ヨットレースをやっているときに、上半身裸になっているところを写真に撮られて、それがどこかの雑誌のグラビアに出たことがあります。そしたら三島さんからすぐに電話がかかってきて、「石原君、見たよ。もう君、終わりだね、腹がたるんできて。気の毒だなあ、その若さで」としつこいの。いや僕は、いまでもサッカーのクラブチーム・リーグに出ていて、けっこう走れますよと言ったんですが、そういう肉体の機能論に関しては全く実感のない人でした。肉体の形が崩れていくことだけが怖かったんでしょう。

瀬戸内:三島さんにとって、肉体をビルドアップすることは、自分をアピールする演技のようなものだったのでしょう。そういうところがあの人にはありました。食事をしていても、コースを全部食べたうえに「ビフテキ二枚!」なんて追加する(笑)。それをみんなが呆れて見るのを期待していたんじゃないかしら。

石原:文学者の小堀桂一郎さんがエッセイで、この人はほんとにいろいろ無理していて、あまり長生きしないんじゃないかと思った、と書いていますね。】

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 「『老い』をもっとも怖れ憎んだ人」として名前を上げられた三島由紀夫さんなのですが、三島さんに対する石原さんと寂聴さんとの見かたの違いが浮き彫りにされていて、なかなか興味深いやりとりでした。

 「気の毒だね、腹がたるんできて」と貶されたことを根に持ち続けているのか、三島さんの「肉体改造」に対して終始批判的な石原さんと、その石原さんの舌鋒をさりげなく受け流しつつ、三島さんの思い出を愛情をこめて語る寂聴さん。


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08月19日(日)
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