ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「プロレスの神様」と呼ばれた男
『日刊スポーツ』の記事より。
【「プロレスの神様」とうたわれたカール・ゴッチさんが28日(日本時間29日)、米国フロリダ州タンパの自宅で死去した。死因は肺炎とみられている(付記:実際は胸部大動脈瘤破裂だったそうです)。82歳だった。ゴッチさんは61年4月、日本プロレスのワールド・リーグ戦で初来日。自ら編み出したジャーマン・スープレックス(原爆固め)を日本に広め、アントニオ猪木、藤波辰爾らを輩出するなど、日本プロレス界の「育ての親」だった。生前も無我ワールドの名誉顧問を務め、日本プロレス界の発展に尽力していた。
厳しい指導で知られ、新日本では藤波、佐山、前田ら、そうそうたるメンバーを育てた。ウエートトレは用いず、75年には自宅に住み込んでいた藤波を動物園に連れて行き、手本としてゴリラの筋肉を見せたこともあった。52年ヘルシンキ五輪のレスリングで銀メダルを獲得した技術はもちろん、レスリング技を応用したジャーマン・スープレックスを編み出すアイデアもあり、日本で「ストロングスタイル」を確立した。】
『1976年のアントニオ猪木』(柳澤健著・文藝春秋)より。
【猪木がまだ力道山の付き人を務めていた1961年5月、カール・ゴッチは第3回ワールドリーグ戦に参加するために初めて日本のリングに上がった。
この時にゴッチが披露したジャーマン・スープレックス・ホールドの衝撃を、猪木は以下のように書いている。
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カール・ゴッチのジャーマン・スープレックス・ホールドは投げ技と固め技がひとつに融合したプロレスで最も美しい技だ。猪木がゴッチに魅せられたのも当然だった。
観客もまたジャーマンの美しさに驚嘆し、ゴッチに熱狂的な声援を送った。だが、力道山はゴッチを二度と呼ばなかった。力道山が生涯勝つことができなかったレスラーはメキシコのエンリケ・トーレスとゴッチの2人しかいない。力道山はゴッチの人気に嫉妬し、誇り高きゴッチは力道山に負けることを拒んだに違いない。
ゴッチが5年ぶりに再来日を果たしたのは力道山の死後、66年7月のことだ。ゴッチは相変わらずの神業を披露しつつ、試合の合間に日本プロレスの若手を自主的に指導した。
階段や路面を使い、小鹿雷三(グレート小鹿)や杉山恒治(サンダー杉山)などの若手レスラーに基礎トレーニングを行う見事なコーチぶりに感心した芳の里はゴッチに本格的なコーチを依頼し、快諾したゴッチは68年4月から住まいを東京に移した。ゴッチは日本で最初のプロレスのコーチになったのだ。
(中略)
猪木がゴッチから学んだものを大きく分ければ、次の3点になるだろう。
1.相手を制圧するためのレスリングのテクニック。
2.試合を終わらせるための関節技と裏技。
3.観客を魅了するための美しい必殺技。
倒す、投げる、抑えつける。レスリングにパワーは不可欠だ。だがそのパワーはバーベルを持ち上げるような単純なものではない。バーベルは動かないが人は動き、そのたびにバランスが変わり、必要な力のベクトルも瞬間的に変わる。相手の動きに即座に対応し、倒し、投げ、有利なポジションを保持し続ける能力。それこそがレスリングに求められる能力なのだ。アントニオ猪木は日本のトップレスラーとして初めて、グラウンド・レスリングのエキスパートになった。
(中略)
相手を制圧できれば、次は試合を終わらせなければならない。そのために必要となるのが関節技および裏技である。
裏技とは、相手の目に指を入れる、噛みつく、指を折る、ヒジを落とす、肛門に指を入れるという類のものだ。勝つためならば何をしてもいい。関節技が極められなければ、頭や顔を殴ってでも極めてしまえ。相手がうつぶせになって守っていたら、膝を相手の太腿に落としてからひっくり返せ。フェイスロックにいくふりをして顎を殴れ。観客から見えない位置から肛門に指を突き立てろ。相手がひるんだ隙に腕や足を取れ。このようにゴッチは猪木に教えた。
猪木がゴッチから受け継いだ代表的な必殺技といえば、前述のジャーマン・スープレックス・ホールドと、アントニオ猪木の象徴ともいえる卍固めが挙げられる。
(中略)
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07月31日(火)
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