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活字中毒R。
by じっぽ
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■バブル期の男たちの「恥ずかしすぎる世界」
『TVBros。 2007年14号』(東京ニュース通信社)の特集記事「バブルな瞳に恋してる!!〜ブロスが生まれた時、世の中は〜」より、映画『バブルへGO!!』の馬場康夫監督(ホイチョイ・プロダクションズ)インタビューの一部です。

【インタビュアー:『バブルへGO!!』の舞台となる1990年はバブル末期。当時は、阿部寛さん演じる「下川路」のようなキザなやつらがいっぱいいたんでしょうか?

馬場康夫:バブル期の男たちは、女の子とやるために歯の浮くような台詞を山のように発していました。僕らなんてね、ポルシェに積んだ天体望遠鏡を銀座のど真ん中で組み立てて、彼女に月を見せるんです。「きれいね」と言うと、「君の身近には、こんなにきれいなものがたくさんあるんだよ」と本気で言っていましたからね。スキー場で「えいっ」と雪を投げ合って、女の子が「痛ーい」と叫んで、よく見ると、雪玉がぱかっと割れて中から指輪が…とかね。恥ずかしすぎる世界。でも当時はみんなが本気でそういうことをやっていたんです。

インタビュアー:でも、当時のお金の使い方は見ていて気持ちがいいですよね。1万円札を見せながらのタクシー争奪戦とか。

馬場:お店でワインを頼むときも「一番高いの!」って言ったり、みんなめちゃくちゃ元気でハイテンションで、浮かれて暮らすのもいいじゃないかと思っていた。バブルっていうのはね、戦後からずっと貧しい時代を経て、一気に金持ちになって、あれやこれや手を出して、みんなでお金の使い方を学んだ時期なんですよ。

インタビュアー:”金持ち1年生”ってことですか?

馬場:ディズニーランドやスキー場に若者が集まって、フレンチレストランでワインを覚えたり、当時は22歳ぐらいの若者でもデザイナーズ・ブランドのいいスーツを着て、クリスマスには高級ホテルでエッチする。お金がない人も、みんながみんな、そうしていたところに面白みがあるんです。
 でも、あの時代があったからこそ、日本のレストランや遊び場のデザインレベルは格段に上がりました。それまではマクドナルドでさえお洒落スポットで、昔は銀座の三越にもあったぐらいだしね。みんなが上品とか洗練とかを、一生懸命目指して試して勉強したおかげで、知的レベルも上がって、今のレベルの高いデザインとかカルチャーが生まれたんだと思いますね。

インタビュアー:当時、映画の主人公みたいに「不景気になんかなるわけない!」という実感はありました?

馬場:バブルの頃に「今ってバブルっぽいよね」っていう感覚はないんですよ。「豊かだなぁ」という実感も、実はそんなになかった。当時はお金があるのにカップラーメンをすすっちゃうような生き方は「だっせー」と思っていたけれど、5年もたつと、西麻布にBMWで乗り付けてお姉ちゃんと、レストランでシャトー・ラトゥールを頼むのが「だっせー」となる。あと15年もしたら、今の5歳ぐらいの世代が間違いなく、「昔はみんな電車でケータイ眺めていたよね」って笑うと思うよ。時代ってそういうものですよね、養老猛さんが『バカの壁』で書いていたように、世の中は変わっても自分は変わらないと思っていたら大間違いで、世の中は変わらないけれど自分が変わっていくんだよね。】

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 『TVBros。』の創刊20周年号の特別企画として、20年前の「バブル時代」を振り返っている記事中のインタビューなのですが、こうしてあらためて当時の「浮かれっぷり」を読んでみると、なんだかおとぎ話のようにしか思えません。
 もっとも、1986年の12月から1991年の2月までの4年3か月の「バブル時代」は僕にとっては高校から大学時代にあたっており、田舎の大学生だった僕にとっては、「バブル」なんてトレンディドラマの中だけの話だったのですけどね。
 ただ、大学の同級生が、当時つきあっていた彼女と「はじめてのクリスマスの夜」を迎えるために、ちょっと信じられないようなお金を遣って高級シティホテルを予約していたことは記憶にありますから、田舎にも断片的には「バブルの影響」はあったのでしょう。


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07月17日(火)
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