ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「でも、僕は、『天才赤塚不二夫の手伝いが出来ただけでも幸せだった』、と今は思ってる」
『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』(武居俊樹著・文春文庫)より。

(赤塚不二夫さんの前夫人・登茂子さんが、著者に語った「マンガ家・赤塚不二夫の仕事に対する姿勢」。登茂子さんは新米イラストレーター時代に赤塚さんのアシスタントになり、その後結婚されています)

【私も絵が少し判ったから、「不二夫さんの絵は古いんじゃない」と、言ったことがあった。何気ない一言だったんだけど、赤塚は、すっかり考え込んじゃった。
 そんな時、少年サンデーで『おそ松くん』が新連載されることになったの。悩んだ赤塚は、共同執筆者に高井研一郎さんを入れることにした。仕事に関しては、凄く柔軟性のある人だと思ったわ。
 自分の絵が古かったら、絵が上手い人を入れればいい、って単純に考えられる人。さすが、トキワ荘で、石森さんや水野さんと共同執筆した人よ。作品を良くするためなら、誰にでも頭を下げられる謙虚さを持ってるの。プロデューサー的資質があるのね。
 絵では高井さん、アイデアでは、その後、古谷(三敏)さんや長谷(邦夫)さんの力を借りていく。武居さんも、赤塚の巻き起こす渦に巻き込まれている。でも、単純に信じているだけでは駄目よ。
 僕は単細胞だから、単純に思っていることを口にする。
「いや、僕は、こんな天才の片隅に入れて貰えるだけで光栄です」
「高井さんが入って、赤塚の絵は、明らかに変わったわ」
 と、登茂子さんは『おそ松くん』の初期の頃の話を始める。
『おそ松くん』で、赤塚の作ったキャラの絵は、六つ子と、その父母、トト子ちゃんくらいね。他のキャラは、ほとんど高井さんの絵よ。
 イヤミのキャラを作った時なんか、感心したわ。洋行なんかしたことないのに、フランス帰りを自慢している男を、赤塚が口で説明するの。高井さんは、それを聞いて、サラサラって絵を描くの。それに赤塚が細かい注文をつけると、高井さんが修正していく。そして、赤塚が叫ぶの。
「研ちゃん、これだよ!」って。
 チビ太も、ダヨーンも、デカパンも、ハタ坊も、そうやって出来ていったの。「シェーッ!!」のポーズも、みんなで、ああでもない、こうでもないって一晩ワイワイやって完成していった。「口伝て」でキャラクター描ける高井さんは、本当に天才よ。
 高井研一郎さんの証言。
「僕は、大人漫画を目指していた。『おそ松くん』で赤塚氏に協力して、チビ太やイヤミのキャラクターを作った。自分の絵柄を全部、赤塚漫画に投入した。僕が、赤塚氏の後に雑誌に入ったら、赤塚の物真似作家になっちゃう。僕は僕なりに、そのことで悩んだ。
 でも、割り切ったの、赤塚氏が売れっ子になるまで協力しようと。割り切っているつもりでも、時々不機嫌になったりするのね。だけど、赤塚氏のほうが一枚上手だからね。でも、僕は、天才赤塚不二夫の手伝いが出来ただけでも幸せだった、と今は思ってる」】

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 高井研一郎さんは、赤塚さんが『おそ松くん』の連載を開始するときに「共同執筆者」となり、1970年まで作画スタッフのチーフとして赤塚さんの「フジオ・プロダクション」に所属されています。高井さんは後に『総務部総務課山口六平太』や『プロゴルファー織部金次郎』などのヒット作を出し、自らの名義でもマンガ家として成功を収めているのですが、マンガ家としての「知名度」や「歴史的な重要性」では、やはり、「赤塚不二夫」にはかなわない、と言わざるをえないでしょう。もっとも、高井さんはまだ現役ですので、「今の時点では」と言っておくべきかもしれませんが。

 登茂子さんは、新米イラストレーター時代に集英社の『りぼん』の編集者に紹介されて赤塚不二夫さんのアシスタントになったそうですから、確かに、絵に関しては「素人」ではありません。まあ、だからと言って「不二夫さんの絵は古いんじゃない」と言ってしまうのもすごい度胸ですけど、そこでの赤塚さんの対応が、僕にはとても興味深かったです。
【自分の絵が古かったら、絵が上手い人を入れればいい、って単純に考えられる人。】

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05月25日(金)
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