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活字中毒R。
by じっぽ
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■ゲーム制作者残酷物語(『G.O.D.』の場合)
「ユリイカ」2006年6月号(青土社)の「特集・任天堂/Nintendo〜遊びの哲学」より。

(鴻上尚史さんと八谷和彦さんの対談「僕らが任天堂に教わったこと」の一部です)

【八谷和彦:それで本題に入ると、今日はぜひ『G.O.D.』についてお話をうかがいたいと思っていたんです。

鴻上尚史:いきなりイタイところを突いてきますね(笑)。

八谷:と言いながらも、実は僕は『G.O.D.』はやっていないんですが。ただ、鴻上さんの『SPA!』の連載『ドンキホーテのピアス』でも、その大変さはよく書かれていたし、すごく気になっていたんです。
 あれは結局何年に出たんですか?

鴻上:あれを出したのは……スーファミ版が'96年で、プレステ版が'98年ですね。

八谷:制作期間もすごく長かったんですよね?

鴻上:5年ですよ! 最初にみんなが集まって「ゲーム出して、ひと山当てるぞ!」と大盛り上がりしたのが'91年で、当時は劇団も10年目くらいになって、お客さんも入ってくれるようになったけど、年間新作を2本作るのがしんどくて。ゲーム1本ヒットさせたら、3年くらい芝居やらなくてもいいんじゃないかと(笑)。それはいまも思ってるんですけれど。

八谷:一山当てるにしても、ゲーム制作って時間がかかりすぎるんですよね。

鴻上:本当にそう。その時間を考えると、簡単に「ひと山」なんて大間違いだった(笑)。その当時、若いプログラマーなんかとも話したんだけれども、RPG1本作るのに5年かかってしまうから、まず日本でRPGを作れるソフトハウスは10個以下になるだろうと。しかも5年に1本だから、スタッフだって25歳から40歳までの働き盛りの間にたった3本しか作れない。これでは経験も蓄積されないだろうし、ゲーム業界の将来を心配しましたよ。

八谷:その長い制作期間には、ずいぶんいろんなことがあったと思うのですが……。

鴻上:そう、結局僕らアイデア・サイドとプログラマー・サイドの間に、あるべき架け橋がなかったんですよね。それはいまも続く普遍的な問題なのかもしれない。だから、プログラマーさんが3日徹夜して作ったどんなに素晴らしいプログラムであっても、グラフィック=見た目がダメだったら、それはダメなんですよね……。

八谷:それはそうですね。

鴻上:そこで企画者の意図を、どう上手く翻訳して伝えるか、これができていない。この話をゲーム業界の人に言うとびっくりさせるんですけれども、4年半の間に6回くらい、容量変更があったんですよ。最初に考えていたのよりも、プログラム容量が10倍もオーバーしているとある日、突然言われ、それがやがて、5倍だと言われて、やがて3倍に、2倍になって、これなら行けるかと思ったら、また3倍になって……というのがあって、本当に「いい加減にしろ!」というようなことが何度もあった(笑)。堀井雄二さんが芝居を観に来てくれたときにその話をしたら絶句されてましたね(笑)。

八谷:でもきっと、熱狂の時代だったんでしょうね。

鴻上:そうですね。'80年代前半くらいに、NHKだったと思うんですが、「未来のクリエーターたち」みたいな番組があって、僕と堀井さんが呼ばれて、堀井さんがそこで「こんなの作ったんですよ」と披露していたのが『ポートピア連続殺人事件』だった。そして「いまこんなの作ってます」と見せられたのが『ドラクエ1』のデモ版で、ちょっとプレイしたんですよ。そこで「これは面白いですね。当たるといいですね」というような話をしたのをハッキリ覚えています。みんな「これから何が起こるんだろう?」って感じだったんでしょうね。

八谷:鴻上さんは『G.O.D.』で「もう懲りた」という感じですか? ゲームはもうお作りにならない?


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11月28日(火)
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