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活字中毒R。
by じっぽ
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■「敷居の低い人」として生き残るという戦略
「マンガ入門」(しりあがり寿著・講談社現代新書)より。

【自分がサラリーマン時代にクリエイターに何か発注する時考えたのは「敷居の高い人に発注するか?」「敷居の低い人に発注するか?」でした。
 パッケージやポスターにはいろいろなデザインの仕事があります。全てが誰も見たことのないようなオリジナリティとクオリティをかねそなえた立派なものである必要はない。バリエーションでいいもの、サイズ対応でいいもの。ある程度保守的な市場向けで逆に個性的すぎるデザインはリスクが高いもの。そういった仕事が案外多い。
 それらはいわゆる「センセイ」とか「アーティスト」ではなく、普段いっしょにお酒を飲むような、ギャラもそんなに高くなく、スケジュール的にも無理を聞いてくれて、しかもデザインを改悪するようなスポンサーサイドの事情もくんでくれるような、そういった、「敷居の低いデザイナー」にお願いすることがほとんどでした(もちろん、腕は確かな人たちです)。
 逆に、商品の新発売時のキービジュアルになるような作品や今後のイメージ作りの基礎になるような重要なアイテム、なんとしてもその新鮮さで他社製品より、一歩抜きん出て、市場への浸透をはかりたい時などは、力があって有名でギャラも高く、個性的でアーティスティックな、いわゆる「敷居の高いデザイナー」に依頼します。
 もちろん力もあって敷居の低い人もたくさんいましたが、発注するデザインの目的によって、なんとなく大きくその2つに「デザイナー」を分けていたような気がします。どちらがいいとか悪いとかではなく、どちらも大切です。
 さて、それをマンガにあてはめてみた場合、「自分は敷居の低い人」になるか、逆に「敷居の高い人」になるのか? そんなことを考えました。会社を辞めるにあたって有名なデザイナーからアドバイスを受けました。
「やりたいことだけやったほうがいいよ」
 と、つまり自分のやりたいことだけやっていれば、仕事の質も上がるだろうし、それで認められれば、そういった自分がやりたい類の仕事ばかりくるようになって、さらにその人のイメージを確固たるものにし、評価も上がり、いわゆる「敷居の高い人」になれる、と。
 なるほどそれはいい。たしかにそうなれればいいな、と思いました。

 しかし自分には決定的な問題点がありました。「やりたいもの」がハッキリしないのです。
 やりたいものがないわけじゃない。でもアレもコレも描きたい。ギャグもシリアスも描きたい。「やりたいもの」がわかりやすくひとつにまとまらないし、それによってイメージが固定されて、一種類の仕事しかこないようになったら、つまらないな、と思うのです。
 そのうえ、ボクはそこに至る間、若気の至りで反オリジナリティみたいなものをかかげ、パロディを中心に描いていたせいで、すでにもう充分ワケがわからなくなっている。いったいここからどうイメージを収斂していけるだろうか?
 長いサラリーマン生活の中で、一人のタレント、あるいはひとつのイメージともいうべきものが現れ、大きく評価されたかと思うと、数年後にあきられてゆくケースをいくつも見てきました。あきられてからのイメージチェンジは、昔のイメージにひきずられ、非常にむずかしそうに思えます。
 もちろんひとつのスタイルを築きながら、それがひとつの時代の顔になり、常にトップを走り続けるアーティストもいます。しかし、自分がそれになれるとは到底思えなかった。
 ボクは「しりあがり寿」をどうしたかったのか、その時点で最大の願いは、マンガ家としてなるべく長く描き続けること、そしてその時その時に自分の描きたいものを自由に描き続けることでした。
 そんなことを考えると、どんどん自分のやりたいことをしぼるというのが難しく思えてきました。
 その結果たどりついたのは、「敷居の低い人」になって仕事は「何でも受ける」ということでした。きっと何でも受けていれば、自分がダメな分野の仕事はこなくなって、自然に仕事の幅が収斂してゆくだろう。逆にいつまでもいろんな仕事がくればそれでいいじゃないか、と思うようになりました。

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09月19日(火)
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