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活字中毒R。
by じっぽ
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■塀の中の「世界に一つだけの花」
日刊スポーツのインタビュー記事「日曜日のヒーロー〜第487回」槙原敬之さんへのインタビューの一部です。
【そんな大輪の花を咲かせる(「世界に一つだけの花」を大ヒットさせる)3年前の99年8月。覚せい剤所持の現行犯で逮捕された。22歳で「どんなときも。」が100万枚を突破し、音楽界のトップを走っていた。全国ツアーは中止。当時所属していたソニー・ミュージックエンターテインメントは、全CDを店から回収し、出荷停止にした。実家の両親もマスコミに追われた。
警察の留置場では4人部屋だった。中には同世代の人もいた。彼らから「槙原さんがこんなところにくるなんてビックリした。若くして成功して苦労がない人だと思ってたからさ」と言われた。その言葉にハッとした。
槙原「彼らからみると、そういう順風満帆にみえる人の歌を聴いても『どうせ、おれたちの痛みなんて分からない』みたいなものがあるのかな」。
それまでは作詞・作曲、アレンジなどをすべて1人でこなし「人の手はいらない」との感覚に陥っていた。閉ざされた空間。自殺予防のため、手紙を書くとき以外、自由に鉛筆を持つことも許されなかった。その中で毎日「何が正しいことか、何が間違っていたか」を考え続けたという。自己分析、両親、周囲の人のことも考えるうち、内面で化学反応が起きた。
槙原「ここまで人の気持ちに触れようと思ったことって、それまでなかったんですね。あの事件があったおかげで『僕は僕だけで生きてるんじゃない』『僕の歌を本当に聴いてほしい人に歌が届いていない』ということに気がついて。そこでまた、曲作りにポッと火がついた。これからは、サウンドとかじゃなくて、何が言いたいか、だって。それから、また曲作りが楽しくなりました」。
音楽は「食っていくもの」だったが、「ライフワーク」へと変化した。
槙原「歌が、人の心の中で、本当の意味で必要なものでありたいと思ってから、急にすべてが変わりました。だからこそ、SMAPの歌が書けたと思う。昔、ああいう曲を書いていたら、何となく大義名分を振りかざした、流行で終わっていたと思う。でも、今は心からそう思うし。」
公判では、検事が「僕もあなたのCDを何枚か持ってます。聴くと元気が出ますよね」と発言した。法廷での異例の発言に、槙原は「僕もびっくりした。しかと受け止めて頑張ろうと思った」と振り返る。逮捕から4ヵ月後に判決が出た。懲役1年6ヶ月、執行猶予3年。だがその直後に別のトラブルも起きた。当時の個人事務所の社長が、1億円を横領していたことが発覚。周囲は「もうこれ以上スキャンダルは嫌だから」と告訴などしてことを荒立てないよう、槙原を説得した。だが、槙原はあえて法廷闘争に踏み切った。
槙原「これから歌っていく上で『正しいことは正しい。間違っていることは間違っている。それが分かることだけでも財産』ということを伝えていくのに、スキャンダラスなことを言われるのは嫌だからと、その人のやった悪いことをなしにしたとき、僕の歌はうそになりますから」。】
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僕は槙原敬之さんよりほんのちょっと年下なのですが「どんなときも。」で華々しくデビューしたときから、ずっと槙原さんの「軌跡」を観てきていることになります。デビュー時は「あんまりカッコよくないのに…」なんて言っていた垢抜けない「先輩」が、ヒット曲を立て続けに出し、早くも円熟期に入ってきたと思われた時期の、あの「事件」のことは、今でもよく覚えています。当時は、槙原さんの性癖なども含めて、いわゆる「東京スポーツ的に」かなりセンセーショナルに報じられていましたし。
このインタビュー記事を読んでいると、その「事件」というのは、槙原さんにとってひとつの「転機」であったことがよくわかるのです。いや、普通のミュージシャンであったら、「転機」どころか「一巻の終わり」となってもおかしくないような事件ではあったのですが。
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10月25日(火)
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