ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■”Joseph, take Mr.Lockwood's horse; and bring up some wine.”を「翻訳」することの難しさ
おそらく最初、ヒースクリフの頭には「馬をつないでこい」という命令しかなかった。ひと呼吸おいて、ちょっと思いだしたように「(客も来たことだし、)ぶどう酒でも」となるのではないか。「ちょっと思いだした」という気持ちを引き受けているのが、セミコロンと接続詞のandだ。ここがかなめか。
うーん、では、これでどうだろう?
「ジョウゼフ、ロックウッドさんの馬をつないでおけ。そうそう、ぶどう酒でもお持ちしろ」
ああ、やっと決まった。】
〜〜〜〜〜〜〜
これを読むと、「翻訳」っていうのは本当に大変な仕事なんだなあ、ということがよくわかります。
”Joseph, take Mr.Lockwood's horse; and bring up some wine.”を訳せ、という問題が高校の英語の授業で出題されたとしたら、多くの人は、「難問」だとは思わないはずです。たぶん、「ジョーゼフ、ロックウッドさんの馬をつないで、ワインを持ってきなさい」くらいに訳して、すぐ次の問題にとりかかるはず。
前後の文脈がわからない状態でいきなりこの文だけ抽出されたら、ちょっと戸惑うかもしれませんけど。
ところが、こんな「なんでもない一文」にこだわり抜くのが、「プロの翻訳家」なんですね。
僕たちは、そこにwineと書いてあれば、それは「ワイン」(あるいは「ブドウ酒」)以外の何物でもないだろう、と思ってしまうのですが、確かに、現在と30年前の日本では同じ「ワイン」という飲み物でも、それが読む人に与えるイメージはかなり異なるはずです。
日本でも、いわゆる「焼酎ブーム」以前とその後では、同じ「焼酎」に人々が受けるイメージが大きく変わってしまったように。以前の「焼酎」は、「酒好きが飲む、酔っ払うための安い酒」であり、いまのような「お洒落」で通好み、というようなニュアンスはありませんでした。
1960年の岩波文庫版での翻訳を担当した阿部さんも「wine=ブドウ酒」であることは当然承知していたはずなのですが、それでも、(1960年の)「日本の読者がこの場面を思い浮かべたときに、原文に最も近い雰囲気を出すには「酒」のほうが良いだろう、という解釈をしたわけです。もちろん、それが「正解」かどうかというのは難しいし、「結果として読み手が受けるニュアンスは近くても、物質としては別物なのではないか?それでは、『誤訳』なのではないか?」と批判される場合もあるでしょう。
たぶん、現在の日本で『嵐が丘』の新訳を出すとすれば、そのまま「ワイン」で十分通用するでしょうし、多くの訳者はそうするはず。
原文は変わらないのに、翻訳では時代によって「よりニュアンスが近い訳」というのが変化していくのです。
たしかに、同じ作品の翻訳でも古い時代に訳されたもののほうが、いま読むと「違和感」があることが多いですよね。
そして、『嵐が丘』が発表された時代の人が"wine"に感じるニュアンスと、2009年の日本人が「ワイン」に感じるニュアンスだって、おそらく「別物」なのです。
"wine"そのものは変わらないのだとしても。
さらに、同じ言葉でも「葡萄酒」「ブドウ酒」「ぶどう酒」と「もってこい」「持ってこい」「持って来い」のそれぞれ3種類の表記のしかたがあります。「そんなに違うのか?」と僕も思うけれど、「そんなに違わないけど、言葉としての外観は明らかに違う」ので、これらのうちのどれを選ぶかというのも、なかなか難しい問題のように思われます。
「ピリオドとコロンとセミコロンとカンマの役割」っていうのも、そういえば英語の文法の時間に少し習ったような気もするけれど、それを日本語に反映させるとなると、ここまでいろんなことを考えないといけないんですね。
「翻訳」というのは、他人が書いたものを「ただ、訳すだけ」と思われがちだけれど、こうして実例を教えてもらうと、突きつめていけばキリがない、大変な仕事なのだということが切実に伝わってきます。
01月10日(土)
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