ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■押井守監督が語る、「『うる星やつら』の友人関係」
 でも、「いつもケータイでメールのやりとりをしているから、あの子は『親友』」って答える人もいますし、それが間違っているというものでもありません。定義が曖昧なものを「何人」って聞くほうが間違っているのですが、こういう質問に「ゼロ」とか答えるのって、それだけで「人生終わってる」ような気がするんですよね、自分自身でも。

 そういうタイプの人間にとっては、「損得抜きの友達なんて、いなくてもいいんだ(あるいは、いないのが当然なんだ)」というこの押井さんの考えには、けっこう勇気づけられるのではないでしょうか。

 この文章のなかで、押井監督は、自らの出世作であるアニメ『うる星やつら』での「友人関係」について書かれているのですが、押井監督は、【あの中で描かれるのは主人公たちの欲望であって、その欲望を実現するために誰と誰が共闘し、誰と組むのが有利かという、そういう関係だけだ】と考えておられたようです。そして、【それこそが、現実世界で「友人関係」と呼ばれているものの実態に近い】と。
 原作者である高橋留美子さんも同じ考えだったかどうかはわかりませんし、物語のなかでは、「損得抜き(あるいは、損得度外視)の友情」が描かれているように思われる話もあったのですけど、そう言われてみれば、『うる星やつら』というのは、荒唐無稽な話のように見える一方で、ものすごく「学園生活の雰囲気」みたいなものを内包していたような気がします。
 こいつらは、どうしてこんなに節操がないんだ!と呆れる僕もまた、節操がない学生だったのだよなあ。

 こういう「身も蓋も無いこと」が書けるのは、やっぱり、「押井守の特権」だと感じますし、「凡人」としては、それなりに「友達らしき人」がいたほうが生きていきやすいとは思います。
 「損得抜きの友達」なんて、「現実にはありえないファンタジー」だからこそ、漫画やアニメの世界では必要とされるのかもしれませんね。

 『うる星やつら』が、あの時代の孤独なオタクたちにあれほど愛されたのは、押井さんからのメッセージをみんな無意識のうちに受け取っていたから、なのだろうか……

08月14日(木)
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