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活字中毒R。
by じっぽ
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■西原理恵子「だから出てくる子どもは全部、私です」
 昔は「自分以外の家は、みんな『サザエさん』みたいな平和な家族なのではないか」と思っていたけれど、実際は、あんな家族は、少なくとも僕が生きてきた1970年代以降には、どこにもない。
 まあ、だからこそ、『サザエさん』は、「あるべき家族の姿」として、ずっと生き続けていられるのかもしれませんが。

 そういう「子どもの頃の不安や不満」を、大部分の人は大人になると、いつのまにか忘れてしまうのだけれども、それを生々しく表現できるというのが、西原さんの凄さなのかもしれませんね。
「だってさあ、いじめっ子に立ち向かっていける子なんていないよ」
 確かにそうでした。僕も「いじめっ子と戦う自分」を夢想してはいたけれど、それを実行する勇気はないのに、そんなカッコいい自分を想像するだけだということに、さらに落ち込んでいたのです。
「さようなら、ドラえもん」で、去っていくドラえもんに心配をかけまいと、ジャイアンにボロボロになりながら勝ったのび太には、当時も感動して涙が止まりませんでしたが、正直、「ドラえもんが未来に帰ってしまうような事態」にでもならないかぎり、僕もいじめっ子に立ち向かうことはできないだろうなあ、とも感じていました。

 西原さんの漫画には、けっして楽しいことや立派なことばかりが描いてあるわけでもないのに、読むと少し心が軽くなるのは、「ああ、僕だけじゃなかったんだな」と、当時の僕を許すことができるから、なのかもしれません。後悔していることは、たくさんあるけれど、それはみんな同じこと。そして、それでもみんな、みっともなくても生きている。

 『アンパンマン』のやなせたかし先生の話にも、すごく考えさせられました。「悪いヤツをやっつけるだけのスーパーヒーロー」を喜べる環境にいる人間は、すごく幸福なのかもしれない、って。
 その一方で、そういう「現実を忘れさせてくれるスーパーヒーロー」こそが、空腹を満たすことができない世界では、必要であるような気もします。
 
 「豪快なオカン」に見える西原さんの繊細な作品に触れるとき、僕はいつも、「人間の心の内というのは、外見だけではわからないものだな」とあらためて考えずにはいられません。そして、誰の心のなかにも、たぶん、西原理恵子がいるのでしょうね。

06月29日(月)
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