ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「1本のゲームで名曲は1曲でいいと思ってますよ」
植松:ゲーム音楽の祭典、PRESS STARTで演奏する曲を決めるとき、ゲーム音楽として選曲するべきなのか、”音楽”としての選曲をするべきなのかを決めかねるときはあるよ。いまだに自分の中でね。
桜井:わたしが「この曲どうですか?」と提案したときに、「良い曲だね」という感覚で選んでもらって全然問題ないと思いますよ。
植松:でもメロディーが大したことなくても、聴きたい音楽ってあるじゃない? 『スペランカー』とか。ああいうゲーム曲って、「音楽として良いか?」と聞かれると微妙かもしれないけれど、ゲーム音楽としては確かにおもしろいんです。】
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ハードの進化によって、現在は「普通の音楽」をゲーム中に流すことができるようになったのですが、正直、「昔に比べると、印象に残るゲーム音楽が少なくなったなあ」という気がします。
もっとも、僕も年をとって、昔ほどゲームばっかりやっているわけにはいかなくなった、という面もあるのでしょうけど。
ファミコンの音源は、「音階の演奏ができるモノフォニック(単音)のパートが3つと、ノイズのみが演奏できるパートが1つ、の計4パート/4ボイスという構成」なのだそうで、この「3音」で「普通の音楽」をやるのは至難のワザ。
それでも、植松さんやすぎやまこういちさんのような「ゲーム音楽家」たちは、その制約のなかで、たくさんの名曲をつくり出しました。
ゲーム好きの作曲家たちにとっては、「制約」が、かえって「やりがい」になっていたようでもありますし。
以前聞いた話では、すぎやまこういち先生は、植松さんの「3音だけってのは、やりにくいですよね」という問いに、「音楽なんて2音で充分。ドラクエは2音で作ってるよ。残りの1音は効果音に使ってる」と答えられたそうです。
いまのゲーム制作というビジネスの規模からすると、もっと「有名作曲家を起用する」という選択もありえそうなのですが、実際は、すぎやまこういちさんのような「もともとゲームというものをよく知っていた人」以外は、あまり成功していないのが現状です。
その理由には、この対談であげられているような「ゲーム音楽の特殊性」があるのかもしれません。
「ここは映像を立てるべき、というシーンでは音楽は一歩引くべきだろうし、その逆もしかり。そのメリハリが必要なんだろうね」
「1本のゲームで名曲は1曲でいいと思ってますよ」
こういう感覚は、「音楽の世界だけしか知らない人」にとっては、なかなか受け入れがたいはず。映画音楽などは、比較的近そうですけど。
でも、これを読んでいて、以前、サザンオールスターズの桑田佳祐さんの「サザンのアルバムでは、珠玉のバラードを活かすために、ひとつのアルバムには厳選したバラードを1曲かせいぜい2曲しか入れない」という話を思い出しました。噂では、以前所属していたレコード会社がサザンの「バラード・ベスト」を出したときには「その1曲1曲のバラードをオリジナルアルバムで効果的に聴かせるために、どんなに苦労していると思っているんだ!」と、かなり立腹されていたとか。
植松さんも「名曲は1曲でいい」というより、「名曲を効果的に使うために、全体の構成を考えている」のでしょう。
ここで桜井さんと植松さんの話に出てくる、「居眠りしてしまって、耳に残ってしまったRPGのフィールドの曲」とか、「メロディーはたいしたものじゃないはずなのに、なぜか聴きたくなる『スぺランカー』の音楽」というのは、僕にもすごくよくわかります。
なんというか、ゲーム音楽には、そのゲームにまつわる記憶がしみついていて、『スぺランカー』を聴くとすぐ怪我しそうな気がしてくるし、セガの『アウトラン』を聴くとついついアクセルを踏み込んでしまうんですよね。
いまさら、「ファミコン時代の3音」に戻ることは不可能なのでしょうが、あの時代のゲーム音楽というのは、音数以上に豊かなものだったのではないかと思われてなりません。
同時期のどんな流行歌よりも『ドラゴンクエスト』の「序曲」や『スーパーマリオ』のBGMのほうが、多くの人の耳に残っていそうですしね。
05月31日(日)
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