ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■『スペースインベーダー』をたった一人で作った男
「すべて”難しくてできない”と断りました。本当はできたんですけどね(笑)」とやんちゃな表情を見せた西角氏。この強行突破が、シューティングゲームの概念、スリル感を大きく変えたわけだ。だが、当然のことながら発売時点での営業担当の気持ちは穏やかではない。『スペースインベーダー』は当時の最低ロットで世に出回ることになる。さらに付け加えると「ここまで作ったから没にするのもかわいそう」という同情の上での発売だった。しかし、その状況もすぐに好転する。
「発売してすぐに致命的なバグが見つかったんです。修理に向かったら、”このゲーム、インカムがいいからコインボックスを大きくしてよ”といわれて驚きました」。
『スペースインベーダー』の人気が全国区になるにはそう時間がかからなかった。数ヵ月後にはインベーダーハウスが乱立し、テーブル筐体を置く喫茶店も登場。”『スペースインベーダー』のためにテーブル筐体のコインボックスが4倍に拡張された”、”集金車のサスペンションが100円玉の重みで曲がった”、”高級料亭にも筐体が並んだ”など、大ヒットを裏付ける伝説にも事欠かない。1500台出れば大ヒットと言われていた当時に、絶頂期には月産約2000台を誇ったというから驚きだ。「1、2週間徹夜して工場を作って生産を始める無茶ぶりでしたね(笑)」。日本中が『スペースインベーダー』フィーバーに沸いたのだった。】
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『スペースインベーダー』が世に出たのは1978年6月。僕はまだ小学校低学年でした。ブームそのものというよりは、学校の先生に「とにかく『インベーダーゲーム』はやっちゃダメ」と言われ続けていた記憶しかないのですが、『ゲームセンターあらし』などを通じて、『インベーダーゲーム』は当時の子供たちにもよく知られていました。
僕は当時、一度だけゲームセンターで『スペースインベーダー』をやった記憶があるのですが、そのときには、あっという間に全機やられてしまって、「これでジュース1本分のお金がかかるのか……10円ゲームのほうがいいや……」と思ったんですよね。たしか、800点くらいしか取れなかったはず。「炎のコマ!」とか言いながらレバーをとにかく激しく動かしてみたりしたのですが、やっぱり無理。
これを読みながら思い返してみると、たしかに「敵が攻撃してくるテレビゲーム」っていうのは、この『スペースインベーダー』が最初だったのではないでしょうか。「うまい人は延々と続けられるけれども、ヘタな人は一瞬で終わる」というシステムも。たしかに、斬新なゲーム性だよなあ。
これを周囲の反対のなか、「そんなことできません」と嘘をついてまで実現した西角さんの「先見の明」には驚かされます。昔の僕みたいに、最初に一瞬でゲームオーバーになって離れていった人も多かったと思うのですが、結果的には、厳しいからこそ「うまくなること」にハマっていった人も大勢出たのです。
いまのテレビゲームのレベルからすれば、「ひとりで作った」と言われてもみんなそんなに驚かれないかもしれませんが、『スペースインベーダー』は、当時のテレビゲームのなかで「最新鋭」だったんですよね。あの頃は、「『スペースインベーダー』を家で遊ぶこと」は、まさに「ゲーマーの夢」でした。
開発ツールから西角さんが自分で開発していたというのもすごい。
こういう「創ることに情熱を燃やすひと」がいたからこそ、日本のゲーム業界は進化してきたのでしょう。
『スペースインベーダー』のブームは1年くらいで沈静化しましたが、このゲームが後世に与えた影響は計り知れません。
西角さん本人にとっとは、「大ヒットによるごほうびは、ひとつ昇進したことと10000円くらい昇給したことくらいだった」そうなのですけど。
04月25日(土)
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