ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■『ジャンプ放送局』が終了した「本当の理由」
さくま:本当のこと言うと、はからずもゲームが当たってしまって、札幌のハドソンに通わなきゃいけなくて。それでへばっちゃって、体力的に。それと4万通のハガキを見るのがすごく体力的にきつくあって、打ち合わせを2週間に1度にしたんだけど、それでもきつくて、もうやばいな、という時だったね。
(中略)
榎本:さくちゃん、その時はゲームと両方やってたからねー。
さくま:札幌に電車で通ってたからきつかった。それも当時専門学校の先生をやってたから、授業をやってそのまま電車で札幌に行って、次の学校の授業までに帰ってこあきゃならなくて、完璧にへばっちゃった。
土居:忙しかったですね。
さくま:ほんとに忙しかった。1週間に8時間しか寝れなくて倒れちゃったんだから。1日8時間じゃなくて、1週間で8時間。もう寝れないんだよ、完璧に忙しすぎて。】
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『ジャンプ放送局』が集英社の「週刊少年ジャンプ」に連載されていたのは、1982年10月から1995年12月まで。13年以上続いていたんですね。
この13年間というのは、まさに『ジャンプ』の全盛期であり、僕にとっても、いちばん『ジャンプ』を熱心に読んでいた時期でした。当時はインターネットなんて無かった時代ですから、スポーツに疎くてものを書いたり面白いことを考えたりするのが好きな学生たちは、オールナイトニッポンの「ハガキ職人」になるか、『ジャンプ放送局』のメジャーな投稿戦士を目指していたものです。そういえば、僕も何度か投稿したことがあるんだよなあ。結局、一度も採用されることはなかったのだけれども。
まあ、この「1週間で3万〜4万通」という話を読むと、「そりゃあ、そう簡単には採用されないよねえ」と今になってようやく納得できたような気がします。
以前、人気放送作家の北本かつらさんが、『ジャンプ放送局』史上唯一の連覇を達成した「竜王は生きていた」だったという話を聞いて驚いたのですが、漫画家の八神健さんも優勝経験者ですし、その他の常連投稿者にも作家・放送作家・漫画家などとして活躍している人がたくさんいるのです。
今から考えると、当時の『ジャンプ放送局』は、まさに「文系クリエイターの登竜門」だったんですね。
それにしても、当時の『ジャンプ』の人気投票システムが、『ジャンプ放送局』にまで適用されていたというのには驚きました。しかも「『ジャンプ放送局』に負けたマンガは連載終了」というルールだったとは。読者投稿欄とマンガの「人気」を比較することそのものがおかしいのではないかという気がするのですが、当時の『ジャンプ』は、それが受け入れられる時代だったのでしょうね。描いていたマンガ家たちにとっては、つらい時代だったのではないかなあ。もちろん「当たればデカかった」のだろうけど。
僕は『ジャンプ放送局』が終わった理由は、ハガキによる投稿文化が下火になったこと、マンネリ化したことにより「人気が落ちたから」だとずっと思っていたのですが、この対談を読んでいると、最大の要因は「さくまあきらさんの体力的な限界」だったようです。
半分趣味のような形ではじめた『桃太郎電鉄』シリーズが人気となり、ゲームデザイナーとしての仕事が忙しくなったため、というのは、あの堀井雄二さんと同じパターン。僕は堀井さんが『OUT』(注:ここは初稿では『ファンロード』と誤記していました。申し訳ありません)という雑誌の読者投稿のページを担当するライターだった時代(あるいは、ジャンプのファミコン記事を紹介する「ゆう帝」の時代)を知っているのですが、あの人がこんなに有名なゲームデザイナーになるなんて、今でもちょっと信じられないような気がします。
そして、あの『ドラゴンクエスト』のロゴをつくったのが『桃鉄』の貧乏神のモデルとして知られる榎本さんだったとは……
しかし、「貧乏」とか「貧乳」とか、今の時代だったらけっこうクレームが来るのではないかと思われる言葉が、当時は週に何百万部も売れている雑誌で乱発されていたんですよね。
それが良いことなのか悪いことなのかはさておき、そういうおおらかさが「投稿文化」を支えていたのかもしれないな、とは思います。
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01月04日(日)
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