ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「積極的な人と消極的な人は、ただ、『理解の仕方』が違うだけなのだ」
 いろいろな場所でワークショップを行える利点から、さまざまなスタイルでこのタイプ分けをする稽古を行った。たとえば「大根」という名詞に形容詞をつけてもらう。「三つまたの大根」とか「髭が生えた大根」、博多人形のような大根」といった具合。
 その後、別の稽古を行って時間が経った後、さっきの「大根」についた形容詞をいくつ覚えているかを書き出してもらう。そのゲームにイッセーさんも参加していたが、他人がつけたフレーズを覚えている数は群を抜いていた。
 別の場所でのワークショップで、昨日他の参加者が言った台詞のどれを覚えているかと質問をした。明るく元気な「積極的」と思える参加者は、みんなが一斉に笑った台詞や、僕がコメントを加えた台詞を取り上げたのに対して、目立たぬ「消極的な人」は、独自の地味な台詞を覚えていた。
 現実の世の中では、積極的に目立とうとし、地味で消極的な人間は否定されがちだが、それは間違っている。ただ、「理解の仕方」が違うだけなのだ。「イッセー尾形」の演劇が取り上げるのは「目立たぬ市井の人たち」であり、「イッセー尾形のつくり方」と題した4日間のワークショップも、「人に誇るようなものはなにもないと思っている人」という言葉で、参加者を募っている。
 地味な目立たない人たちは、ワークショップの最初は積極的な人たちの後ろに隠れてしまっているが、「見て理解する」ことにより、4日間の最後のほうでは、メキメキと頭角を現わしてくる。】

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 上の文章でも書かれているように、イッセー尾形さんの「専属演出家」である森田さんは、全国各地で「(地元の)素人が4日間で芝居を作る試み(ワークショップ)」を行っておられるそうです。しかも、この芝居は、内輪で見せ合って終わるのではなく、「有料公演」として上演されるのだとか。
 まあ、こういうワークショップに参加するというだけで、「消極的な人」とはいっても、それなりの「積極性」がありそうなものではありますが、ここで森田さんが仰っておられることに、「消極的サイド」の一員である僕としては、ちょっと励まされたように感じました。

 確かに、世間では「積極的な人」というか、第一印象でアピールできる人のほうが有利な気はするんですよね。多くの場合、人間関係に「4日目の最後のほう」はないので。
 それでも、「積極的な人」と「消極的な人」というのは、どちらが優れているとか、やる気の差というわけではなく、それぞれのタイプの「理解の仕方」の違いだというのは、とてもよくわかるような気がします。

 「消極派」の僕は、「もっと積極的にいかなきゃ!」と言われて、中途半端ボソボソと自己アピールしようとして玉砕、という経験を何度もしてきましたが、結局のところ、僕の場合は、「やるより前に、まずは見るタイプ」であり、「他人に記憶されるより、他人を記憶する」ことのほうが得意なのです。それを生かせるかどうかはさておき。

 世の中というのは、僕のような「見るタイプ」には何かと生きづらいものではあるんですよね。世の中を支えているのは、どちらかというと「見るタイプ」だと思うんだけどなあ。「見る人」がいなければ、「やる人」だって存在できないわけだし。

 でも、実際は世の中の多くの人は、「やるタイプ」でも「見るタイプ」でもなく、「ただ漫然とそこにいるタイプ」で、僕もその一員なのかな、とも感じるんですよね。それは、あんまり考えたくない話ではあるんですけど。

09月30日(火)
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