ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■『ハゲワシと少女』と一人のカメラマン
 もし、彼がカメラを持っていなかったら、ジャーナリストでなかったら、まず、ハゲワシを追い払っていたはずです。僕は、こういう場面で、写真を撮るより、ハゲワシを追い払う人間でありたい。
 しかしながら、もし彼がそうしていたら、多くの子どもたちが救われなかったかもしれません。
 
 この『ハゲワシと少女』と一人のカメラマンの話は、ケビン・カーターの自殺によって、「美化」されてしまっているように僕には感じられます。彼があの写真により成功し、人生を謳歌していたとしても、「ジャーナリストは世界のために目の前の人を見殺しにしてもしょうがない」「ジャーナリストは対象(被写体)に触れるべきではない」という彼らの「結論」に、頷くことができるでしょうか?

 たぶん、同じような場面で、「写真を撮る」ことよりも「対象を助ける」ことを優先し、ジャーナリストとして無名のまま終わってしまった人がたくさんいたのではないかな、と想像してしまうのです。
 僕は、そういう人たちのほうが「ひとりの人間としては偉大」なのではないかと考えずにはいられません。

 ケビン・カーターは、写真を撮る前に少女を助けるべきだったのか?

 「ジャーナリスト」もまた「ひとりの人間」である限り、この問いに対する正しい答えは無いのでしょう。

 戦場カメラマン、ロバート・キャパは、こんなことを言っています。
「悲しむ人の傍らにいて、その苦しみを記録することしかできないのは、時にはつらい」
 ケビン・カーターもまた、この「つらさ」をカメラと一緒に抱えていたのだと僕は思います。
 そして、「ジャーナリスト」を自称するのであれば、「取材対象とのそうした距離感を保つ」ことを正当化するだけではなくて、そうしなければいけない「つらさ」を感じる人間であってもらいたい、と考えずにはいられません。

08月27日(水)
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