ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■三谷幸喜さんが「僕は映画監督として結構いけるんじゃないか」と思った理由
三谷:僕は、自分が映画監督として才能があるとずっと思ってなくて、むしろないと思っていたぐらいで。映画は大好きでずっと観ていたんですけど、やっぱり脚本家として観てしまうので、「この伏線の張り方はおもしろいな」「このホンはよく出来てるな」という見方はするけど、「この演出はすごいな」「このカット割りはいいな」と思って観たことが無かったので、自分で映画を撮る時も、決して映像寄りではない。「なんて自分はアングルの見つけ方がへたなんだろう」とか、現場を引っ張っていくという意味でも、「監督としてなんて自分は不適格なんだろう」ということばっかり。ただ、結果的にその映画が豊かになっていくことにつながっていく細かいことを決めていく段階で、無意識のうちに何かを選ぶ、AとBのうちのAを選んだとか、この色を選んだとか、この帽子を選んだとか、そういう一見瑣末に思えることに関しての選択が間違えていなかったとしたら、ひょっとしたら僕は映画監督として結構いけるんじゃないかと、今回、ほんのちょっと自信が持てたわけです。もちろん、それ以外のずっと僕がだめだと思ってたことはいまだにだめなんですけども……。】

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 最新作『ザ・マジックアワー』も絶好調の三谷幸喜さん。映画好きなら誰しも、「自分で映画監督をやってみたい」と思うもののようですが、この話を読んでみると、実際の監督の仕事というのは威張って周囲に指示を出していればいい、というものではなくて、いろんな細かいところを決めるのもまた、監督の仕事なんですね。もちろん、その監督の主義や映画の予算などによって、「細かいところにはタッチしない」あるいは、「自分で決められる範囲が限られている」場合もあるのでしょうけど。

 映画監督であれば、「出演する俳優」や「ロケを行う場所」などは自分で決めたいでしょうし、それが監督の仕事であるというのはよくわかるのですが、「佐藤浩市さんの髪の毛の分量はどのくらいがベストなのか?」なんてことは、かえって決めるのが難しいのではないかと思われます。もちろん、あまり細かいことにこだわらない監督もいるのでしょうけど、それでも、誰かがそういうところを決めていかないと、映画の撮影は進んでいかないはず。なにげないシーンのようでも、「決めなければならないポイント」はけっこうたくさんありそうです。登場人物の服装ひとつ決めるのだって、大変なんじゃないかなあ。
 「雨が降っている」というシーンにしても、それが映画である限り、「どのくらいの雨が降っているのか?」というのを誰かが決めなければならないのです。「そんなことはどうでもいい」と言いたいようなことにこだわらなければならないのが、「映画監督」なんですね。
 アドバイスしてくれる人はいるとしても、最終的にゴーサインを出すのは「監督」でしょうし。

 こういう話を聞くと、「そんなの映画の内容とは関係ないし、どうでもいいんじゃない?」って考えがちなのですが、観客になってみると、「なんかこの役者さん、この役のイメージと違うんだよなあ」とか、「この主人公、こんなセリフを言うような人じゃなさそうなんだけど……」「『ものすごく感動的な夕日』のシーンのはずなんだけど、なんかありきたりの風景だよなあ」と感じることは、けっして少なくありません。

 たぶん、そういう「小さな選択」が必要なときに自覚的、あるいは無意識のうちに、「多くの観客にとってちょうどいいところ」を見極められる人が「名監督」なのでしょうね。

06月08日(日)
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