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活字中毒R。
by じっぽ
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■私がアメリカの高校生だったころ、美術教師にもらった「忘れられない助言」
僕たちだって、「日本語を流暢に話す外国人らしい外国人(主に西洋人)」に対しては「すごい!」「日本語お上手ですね」と手放しに褒めるのですが、アジア系の人が喋る「自然に近い日本語」に対しては、けっこうあら捜しをしてしまいがちです。助詞の使い方がおかしいとか、発音がヘンだとか。
「ワタシ中国人アルネ」みたいな喋り方をしている中国の人なんて、実際にはいないはずなのに。
そして、相手が流暢に言葉を使いこなす人であればあるほど、微妙なニュアンスの違いや失礼な言い回しに対する「許容範囲」は狭くなりがちなんですよね。
日本語がほとんど喋れない外国の人に対して「敬語も使いこなせないなんて……」と憤る人はほとんどいないのに、相手が「日本人の若者」であれば、「最近の若者は……」と感じる人も多いはずですし。
中途半端に「使いこなせてしまう」ことによって「ミスコミュニケーション」が起こってしまう可能性はけっして少なくありません。外交の席で「お互いに自国の言葉で喋って、通訳を介する」というのは、こういう危険性が認識されているからです。
「英語ができる」というだけで、僕たちはひとつの「価値」だと考えがちだけれども、アメリカ社会の側からみれば、たしかに「言葉だけできたって、単にふつうのこととしてネイティヴスピーカー社会の下層に入れるだけ」なんですよね。身も蓋もない言い方だけど、実際そうなんだと思います。
たぶん、この美術の先生が赤坂さんに言いたかったことは、「英語がうまくなるのは損だ」という話ではなくて、「アメリカ人の真似をして、日本とアメリカの真ん中で宙ぶらりんになるのではなくて、『日本人としての個性』をしっかり磨きなさい」ということだったと僕は思うのです。
そのほうが、「ネイティヴっぽい」発音ができるようになるより、よっぽど「言葉を活かす」ことにつながるから、と。
ただ、こういうのって、あくまでも「それなりに英語ができる人の話」ではあるんですけどね。なんのかんの言っても、今の日本で堂々と英語を避けて通るというのは、英語を勉強するよりもっと「難しい」ことのような気もしますし。
03月17日(月)
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