ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「所詮、『忙しさ』なんてその程度のものだ」
中には、自分がこんなに忙しいのだから、みんなも忙しくしなくては駄目だ、という理不尽な論理を展開する人もいる。忙しさは、あくまでもその個人が望んでいる状況、甘んじている状況なのであって、大勢で共有したり、他人に強要するのはお門違いである。どうも、日本の仕事場というか、古い組織の体質というか、そういう観念がまかり通っているように思えてしかたがない。ある人は忙しく仕事をする。別の人は暇そうに仕事をする。どっちでも良いではないか。評価は、その人の仕事の結果を見れば良いだけだ。つまり、忙しくしているかどうかは、怒った顔をして仕事をしているか、笑いながら仕事をしているか、くらいの差でしかない。怒りたい人は怒って、笑いたい人は笑って仕事をすれば良いことなのに、みんなで一丸となって怒った顔をしよう、という発想が貧しい、と思う。ま、そんなところですゥ。】
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この本に収録されているエッセイは、『小説すばる』の2002年11月号から2004年4月号に連載されていたそうですから、1957年生まれの森さんが40代半ばのときの話です。その年齢で、「年齢的にメンバの真ん中くらい」だそうですから、ラジコン飛行機というのは、「オトナの趣味」ということなのでしょうね。まあ、確かにお金かかりそうだものなあ。
著者の森さんは、大学の教官と人気作家という二束のわらじを履いていて、どう考えても、ネットでしょっちゅう「忙しい忙しい」とばかり言っている人よりも「忙しそう」にみえるんですけど、このエッセイを読んでいると、「週末のほんの数時間」だけしか「趣味の工作」の時間がとれなくても、その時間は濃密なもので、かなり人生を楽しんでおられるように感じれます。
この「年2回の草刈り」の話を読んでいると、確かに、どんなに「忙しい人」でも、本当に自分がやりたい、あるいはやらなければならないことのために時間をつくることは、けっして不可能ではないのだな、と思います。
ここで森さんが挙げられているメンバーたちの職業や年齢からすれば、普段は、「なんで俺が草刈りなんか!」という人もいそうですよね。
ところが、彼らは、「愛するラジコン飛行機のため」ならば、万難を排して、たかが「草刈り」のために、駆けつけてくるのです。
アメリカの大統領や日本の首相、あるいは超売れっ子芸能人や大企業の社長ならさておき、ほとんどの「忙しい忙しいとくり返している人」の「忙しさ」っていうのは、「所詮、その程度のもの」なのです。「時間がない」のではなく「時間をつくろうとしない」あるいは、「時間を有効に使えない」だけのこと。
雑誌の編集者や漫画家の「締め切り前の忙しさ」なんて、「普段から同じペースで仕事しておけば、ギリギリになってそんなに「忙しくなる」必要はないのかもしれませんし。
もちろん、職種によっては、瞬間的な「忙しさ」を回避できない場合っていうのもあるんですけどね。
医者でいえば、「当直のときに救急車が2台続けて入ってきた直後に心筋梗塞の患者さんが直接自家用車で来院」とか、警察官にとっての「立て続けの犯罪発生」とか、電力会社にとっての「自然災害からの復旧」のようなケースでは、「その『忙しさ』は、避けようがない」のも事実です。
ただ、実際は、どんなに「忙しい人」であっても、「自分にとってどうしても大事な用事」であれば休むことは可能だし、「少し余裕がある時期」もあるのではないでしょうか。
そもそも、「そんなに忙しいんなら、愛人の家に毎晩通うのをまず止めろよ」なんて言いたくなる人も多いですよね。
いつも「忙しい」「帰りが遅い」と周囲にアピールしている人にかぎって、昼間は居眠りしていたり、だらだらと病棟で看護師さんと雑談していたり、という実例を僕もたくさん見てきましたし。
また、そういう人に限って、「○○はいつも帰りが早い」なんて陰口を言ったりするんだよなあ。「実際に働いている時間」は、むしろその人のほうが多いくらいなのに。
しかしながら、今の世の中では、「忙しい忙しいって言い続ける」っていうのは、ある意味「自分を守るための手段」でもあるんですよね。
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02月29日(金)
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