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活字中毒R。
by じっぽ
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■「今日、『ママン』が死んだ」
 村上春樹さんは、1949年の1月生まれですから、もうすぐ59歳になられます。現在でもフルマラソンを走られているくらいなので体は頑健なのだと思いますが、年齢だけで言えば、孫がいてもおかしくないんですよね。僕たちは、村上さんの「僕」にずっと慣れていますから違和感はないのですが、あらためて考えてみると、還暦近くにもなって自分のことを「僕」なんて言う人は、あんまりいないのではないかと。村上さんが作中だけでなく、私生活でも自分のことを「僕」をおっしゃっているのかどうかはわからないし、御本人としても「もう、『僕』って年齢でもないけど、作品でも、いまさら『小生』なんていうのもヘンだしなあ」と逡巡されているのかもしれませんけどね。
 村上さんの「僕」や小林よしのりさんの「わし」なんていうのは、もう、本人のイメージとイコールになってしまっていますから、突然変えるというのもなかなか難しいのではないでしょうか。

 そもそも、男性で自分のことを「僕」と日常的に言っている人というのは、そんなに多数派ではないような気がするんですよね。都会ではどうなのか知りませんが、少なくとも九州では、「僕」というのは、「カッコつけちゃって……」という、むずがゆい印象を周囲に与える一人称なのではないかと思います。

 そういえば、僕も昔から、自分のことを一人称で何と呼べばいいのか、ずっと迷いながら生きてきました。
 「ぼく」は、なんだか堅物っぽくて弱々しいし、「オレ」が似合うほど豪放磊落なきゃラクターでもない。「わたし」なんて、女の子じゃあるまいし……と、結局のところ、しっくりくるものが無かったんですよね。
 それで、このお二人の対談にもあるように「主語なし」「一人称なし」で会話をしていたことが多かった記憶があるのです。ちなみに、「二人称」も苦手で、目の前にいる友達に対しても、「きみ」なんて呼ぶヤツは田舎の小中学校にはいなかったし、「○○君」と呼ぶのはヨソヨソしいし、呼び捨てにすると気を悪くするかもしれないし、ニックネームで呼べるほど仲が良いわけでもないし……などと、けっこう悩んでいたのです。これも結局「主語なし」にしてばかりだったような。

 病院勤めをするようになって、唯一ラクになったことといえば、とりあえず目の前の人が医者なら「××先生」と呼んでおけば間違いがない、ということです。世間からは、「お互いに『先生』なんて呼び合っているのはバカみたい」なんて揶揄されることも多いこの業界の慣習なのですが、あれは、いちいちお互いに尊敬しあっているわけじゃなくて、プライドが高くてめんどくさい人がけっこういるので、無用の摩擦を避けるために生まれた慣習なのではないかという気がしてなりません。「オレのことを『先生』だなんて失礼な!」って人は、ほとんどいませんから。

 「人称」というのは、どうでもいいことのようで、実は非常に奥深いというか、それだけで相手に与える印象がかなり変わってしまうものではあります。
 ここでとりあげられている、カミュの『異邦人』のあまりにも有名な冒頭の一文、「今日、ママンが死んだ」も、普通に訳せば、「今日、母が死んだ」になるはずです。意味は同じはずなのですが、もし、そんなふうに訳されていたら、この一文は、ここまで人口に膾炙することはなかったのではないかと思います。しかし、これってリアルタイムで読んだ人は、「ママン?何これ……」って、椅子からずり落ちてしまったのではないかなあ。
 これにOKを出した出版社も只者ではないような気がします。

 「人称」というのは、シンプルなようで、なかなか一筋縄ではいかないものみたいです。
 僕にとっては昔からの悩みの種ですし、「お前は20年後も『僕』なのか?」と問われたら、ちょっと考え込んでしまいます。
 プライベートでは、現在も「一人称省略」の場合が多いんですよね。
 いまだに「自分」を確立できていないことの証拠なのだろうか……

11月23日(金)
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