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活字中毒R。
by じっぽ
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■「駅から徒歩60分の住宅地を売る」ための、2つの広告コピー
「よく来たな。実感、いい友。」というコピーを見せられたら、多くの人は、「ああ、上手いコピーだな」と思うはずです。「歩く距離の長さを超えた友情」なんて、ちょっといい話じゃないですか。
しかしながら、確かに「友情を確かめるために、わざわざ駅から60分も歩かなければならない家を買う人はいない」のです。そんなことをわざとやるような人とは、僕は友だちになりたくありません。
おそらく、このコピーは、言葉として「感心」されることはあっても、「広告」としては不合格なのです。
「駅から徒歩60分の場所に、駅ができないわけはありません」というコピーのほうは、最初に聞いた瞬間に「そうだな、そのうち駅ができるだろうな」と思わせるインパクトがあります。
まあ、5分くらい考えているうちに、「でも、駅なんていつできるかわからないし、それまで毎日60分も歩くのはちょっと……」と感じる人が多いのだとは思いますけどね。
しかしながら、中には、「そうは言っても、今は駅から徒歩60分だからこの値段で買えるのかもしれないし……」という人も出てくるはずです。
そういう意味では、少なくとも「友だちの話で完結していない」分くらいは、こちらのほうが「すぐれた広告」なのでしょう。
少なくとも、こちらのほうが「この住宅地を買ってくれるかもしれない人の顔が見えている広告」だと言えそうです。
実は、こういうのって、「広告コピー」の話だけではなくて、誰かと話をするときやネットに文章を書くときにも考えるべきことなのでしょう。
僕たちは、しばしば、「読んだ人を驚かせるような、カッコいい、インパクトがある言葉」を使いたがります。「どうだ、オレってすごいだろ!」と内心ほくそえみながら。
でも、そういう言葉って、上滑りしていくだけで、相手にとっては、単に
「鼻につく言い回し」でしかなかったりしがちです。「オレがオレが」っていう人の話って、誰だって、付き合いきれないものだから。
そんなことはわかっているはずなのに、実際に「相手に伝えることを意識して言葉を選んでいる人」っていうのは、けっして多くはないのです。
直接相手の顔が見えないネットではなおさらのこと。
どんなに「自分にとって優れた言葉」でも、それを求めていない人の心には響かない。
いや、そもそもそれって、本当に「いい言葉」なの?
10月25日(木)
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