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活字中毒R。
by じっぽ
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■「私のどこが好き?」と恋人や夫にたずねたとき、どう答えられるのが嬉しいですか?
「やさしい」「おおらか」「純粋」なんていうように「性格に対するほめ言葉」というのはたくさんあるのですが、こういうのって、実は、「やさしい」は「優柔不断」と、「おおらか」は「いいかげん、大雑把」と、「純粋」は「世間知らず」と表裏一体だったりするわけです。僕だって他人に対して、普段は「真面目でしっかりしている」だと感心しながらも、同じ人物に対して、ときには「杓子定規で融通がきかないヤツだなあ……」なんて批判的な感情を抱いたりします。誰かが僕のことを「やさしい」とほめてくれたとしても、それはあくまでも「好意的にみて」の評価でしかありません。僕はそんなふうに言われるたびに、「でも、この人はいつか僕のことを、『優柔不断な男』だと思うときが来るんじゃないかな……」と不安になるのです。
「内面」なんていうのは、「外見」よりもはるかに、それを評価する人の主観によって左右されやすいものではあるのですよね、実際には。付き合い始めた頃の彼女の「天真爛漫さ」は、気持ちが離れてしまえば「単なるワガママ」になってしまうことだって少なくありません。もちろん、相性が合っていて、ずっとお互いの美点だけしか見えない幸運なカップルだってこの世には存在するのでしょうが、長く一緒にいればいるほど、「長所と短所は紙一重なのだ」と感じることは多くなるはずです。「優しくて他人の頼みを断れない人」っていうのは、「善人」であることは間違いないのだけれど、度が過ぎていれば、「押し売りにもいちいち真面目に対応してしまう人」を自分の人生のパートナーとするには考えものではあるんですよね。
そういう意味では、「内面」より、「外見」のほうが、少なくともその瞬間においては、「確かなもの」なのかもしれません。
ちなみに、この引用部のあと、角田さんはこんなふうに書かれています。
【研究論文を書くがごとく、こうして必死にこのテーマを追いかけていくと、しかしひとつ気づかざるを得ないことがある。私のどこが好きかという質問の答えは、すべてうそっばちである、ということ。尻のかたちがすばらしいといって、それだけで好きという気持ちが喚起されるはずはない。その尻のうえに彼女のからだがあり顔があり、その内面に矛盾をふくんだ中身があって、その全体から理解できない何かを感じとって「好き」が構成されていく。自分を主語にして考えてみれば、一目瞭然だ。
そう気づいても、それでも私は自分のどこが好きかと相手に問わずにいられない。
好きだという気持ちは肯定だ。その肯定の理由を私はつねに知りたい。肯定が確固たるものであることの、証拠がほしくてたまらない。】
「私のどこが好き?」という問いについては、結局のところ「模範解答」は存在しないのでしょう。でも、そんなことは承知の上で、その「うそっぱち」を訊かずにはいられないのが恋愛感情というものなのかもしれません。
こちらから同じことを聞き返しても、「うーん、なんとなく……」とか「よくわかんない、とりあえず全部!」とか、クイズダービーかよ!と言いたくなるような答えしか返してくれないことばかりなんですけどね。
09月24日(月)
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