ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「プロレスの神様」と呼ばれた男
 猪木は、師匠のカール・ゴッチが決して「神様」ではなく、アメリカでは受け入れられない時代遅れのプロレスラーであることを充分に理解していた。
 それでも、ゴッチのレスリングに対する真摯な姿勢には共感できたし、テクニックの細部とパワーアップおよび柔軟性向上のためのプログラム、コンディショニング維持のためのエキササイズは是が非でも学んでおきたかった。
 猪木はゴッチの強さを身につけた上で、華やかなアメリカン・スタイルのプロレスラーになることを目指したのだ。】

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 「プロレスの神様」カール・ゴッチ。【80歳を過ぎてもゴッチさんは毎日、腕立て伏せ200回をこなし、ワインを一晩に2、3本も空けてしまうほど元気】だったそうです。【亡くなられる数日前から容体が急変。自宅近くの病院に一時入院し、最後は愛犬を残した独り暮らしの自宅で亡くなった】ということなのですが、たぶん、「カール・ゴッチ逝去」のニュースというのは、ゴッチさんが住んでいたアメリカでは、日本ほど大きく取り上げられることは無かったのではないでしょうか。

 僕が小学生〜中学生だったころ、今から20〜30年くらい前は「プロレス」は野球と並ぶ「人気スポーツ」で、僕たちはみんな「プロレスごっこ」をして遊んでは怒られていたものでした。
 当時の人気レスラーといえばタイガーマスク、そしてもちろんアントニオ猪木だったのですが、当時の「プロレス少年」たちはみんな、「鉄人」ルーテーズ、と「神様」カール・ゴッチの名前を記憶しているはずです。

 実は、僕もカール・ゴッチの実際の試合は、その一部を昔の映像で観たことがあるくらいなんですよね。カール・ゴッチは「新日本プロレス」の旗揚げ戦でアントニオ猪木と対戦しているのですが、その試合が行われたのは1972年で、ゴッチ48歳のときでした。要するに、僕くらいの世代は、ちょうど「カール・ゴッチの現役生活が終わったあとにプロレスを観はじめた」というわけです。

 しかしながら、実際の試合をほとんど観たことがないにもかかわらず、「神様」ゴッチの名前は、僕たちの間でも有名でした。当時、梶原一騎原作の『プロレス・スーパースター列伝』などのマンガやプロレス雑誌でのカール・ゴッチは、まさに「神様」だったのです。
 僕たちにとってのスーパーヒーローだった猪木よりも圧倒的に強いレスラーであり、若手を厳しく鍛え上げる「ゴッチ道場」の鬼コーチでもあるカール・ゴッチは、実際に彼が闘っている姿を観たことがないだけに、なおさら、心の中で「神格化」されていったのです。それこそ、マンガの中だけに存在する架空のスーパーヒーローのように。もし、ゴッチのプロレスを毎週のように観ていたら、ここまで「神様」として心に残ることはなかったかもしれません。
 
 ここで紹介した『1976年のアントニオ猪木』という本で紹介されているカール・ゴッチの話は、僕にとっては、「神様」の実像が伝わってくる、非常に興味深いものでした。
 技だけではなく、トレーニング方法にまで革命をもたらしたカール・ゴッチなのですが、その一方で、「勝負」に関しては、限りなく非情な一面もあったようです。正攻法のレスリングや美しい技を追究する一方で、「肛門に指を入れる」いうようなダーティなテクニックも、「神様」は惜しげもなくアントニオ猪木に伝授したのです。強いにもかかわらず「華がない」ためにアメリカでは実力ほど評価されることがなかったゴッチにとっては、日本のプロレスというのは、「自分を認めてくれる国」であり、アントニオ猪木は「最高の作品」だったのかもしれません。

 そういえば、僕たちはさんざんいろんなプロレス技の練習をしたけれど、ジャーマン・スープレックス・ホールドだけは、誰もマネしようとはしなかったなあ……

07月31日(火)
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