ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「『硫黄島からの手紙』は、日本映画だと思っています」
 ハリウッドスターのなかには、「仁義に反しても、なかなかはじかれない」ような人もいるような気もするのですが、多くの日本人がイメージしている「アメリカの契約社会」というのは、かなり偏ったイメージのようです。実際にアメリカ人と仕事をしている人に聞いてみると「意外とアバウトに情で繋がっていることのほうが多くて、結局は人と人との関係なんだよ」という答えが返ってくるのです。そういえば、村上春樹さんも、「アメリカ人と仕事をすること」について、こんなことを以前書かれていました。

 ここで紹介しているのは、映画『硫黄島からの手紙』に日本軍の硫黄島守備隊司令官・栗林忠道中将役で出演されている渡辺謙さんのインタビュー記事の一部なのですが、考えてみれば、この仕事は、渡辺さんにとってもひとつの「賭け」だったはずです。クリント・イーストウッド監督のハリウッド映画に主演できるというのはものすごく魅力的なオファーだったのでしょうが、その一方で「戦争映画」というのは、とくに日本においては、ものすごくデリケートな存在の映画でもあります。もし、イーストウッド監督が偏見や思い込みに基づく「ハリウッド的な娯楽重視の戦争映画」を撮る監督であれば、それに「日本代表」として主演した渡辺さんは、アメリカでは嘲笑され、日本の人々からは軽蔑される、ということになりかねません。硫黄島での戦いに関わっていた人たちは、まだ、日本にもアメリカにもたくさん生きていますから。逆に「あまりに日本寄りの作品」になってしまえば、アメリカ国内からのバッシングを受ける可能性もあったはずです。

 幸いにも『硫黄島からの手紙』は日本でもアメリカでも好意的な反応が大部分で、渡辺さんはこの「賭け」に勝った、ということになりそうです。そして、その陰には、「日本語がわからないアメリカ側のスタッフ」に対し、「日本的なるもの」をうまく伝えていった俳優陣の力が大きかったようです。ただし、『SAYURI』のように、ハリウッド映画では、日本や他のアジアを舞台にした国でも、何の説明もなしに登場人物は英語で喋っていることがけっして珍しくないので、これは、日本側スタッフの熱意もさることながら、イーストウッド監督をはじめとするアメリカ側のスタッフの理解も大きかったのではないかと思われます。もしかしたら、イーストウッド監督自身は、「この映画はアメリカでヒットしなくてもいいや」と最初から日本市場を中心に考えていたのかもしれませんけど。

 それにしても、ここで渡辺さんが仰っている【日本映画では、これまで戦争を真正面からなかなか描けなかったんじゃないかと思います。広島を描いたら被害者になり、そうじゃないものは加害者になる】という言葉には、深く考えさせられるところがありました。いままでの「日本の戦争映画」では、周辺諸国から「日本の軍国主義を賞賛している」というクレームがついて問題になるのを恐れて、「天皇陛下ばんざい!」というセリフを入れられなかったりしていたそうですし、「この戦争は日本が悪かった」という視点で描かれることがほとんどでした。実際の戦場は、「どちらが悪い」というようなものではなく、ただ、兵士たちが自分の使命を果たそうと、あるいは生き残ろうとしてお互いに命を削っているだけなのに。日本が「当事者」であったがゆえに、自分の国のことを描くとき、かえって多くの「制約」ができてしまっていたのが、いままでの「日本の戦争映画」だったのです。でも、アメリカ人、クリント・イーストウッドがハリウッドで撮ったこの映画は、そういう制約からかなり解放されています。この映画にだって、アメリカ軍がやられるシーンは非常に少なめだし、日本側の親米的な将校がクローズアップされているという面はあるとしても。

 僕は『硫黄島からの手紙』を観て、「日本の戦争映画とそんなに違わないんじゃないか?」と正直感じました。しかしながら、この作品のいちばん重要な点は、これがハリウッド映画として世界中で公開される、ということなのではないかという気がするのです。「当事者」が作ったという戦争映画というのは、観客にとってもあまり客観的には観られないものではありますから。

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12月27日(水)
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