ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■癒されるのは実は受刑者の方なのだ。
言葉を受け取ると教室の空気がぱーんって張りつめてブルブル震える感じがする。彼らが言葉に呼応するとそうなる。彼らがうれしいとき空気が花開くようにほころぶ。いろんな変化が一瞬に起こる。20歳ってこうなのか〜と、もう若くもない私は感激しながらその空気を味わった。
米国では受刑者が学校を講演して歩いて、ドラッグや暴力の恐ろしさを体験を元に語るプロジェクトがあるという。当初それは青少年の非行防止のために企画された。
ところが不思議な結果が出た。癒されるのは実は受刑者の方なのだ。若者に語った受刑者はみな非常に高い割合で更正していく。子供たちの魂は語る者を癒す力を持っているらしい。たぶん彼らは「罪」を犯したという過去に囚われず、純粋に目の前にいる「人間」に共鳴するんだろう。】
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僕も年に何回か、学生たちの前で「講義」をすることがあるのですが、僕の場合は田口さんが書かれているような「癒し」の効果は得られませんでした。まあ、内容も難しかったしなあ…なんて自分を慰めていたのですが、これを読んでいると、逆に「話をしていて拒絶される(教室は私語だらけとか、居眠りしているヤツばっかりとか)」というのは、とても精神的ダメージが大きいのだな、ということがわかったような気がします。やっぱり、どんな話でも真剣に聞いてくれるわけではないし、僕の講義には準備も情熱も不足していたよなあ、と反省しています。
この話を読んでいて僕がいちばん感じたのは、「自分の話、とくに自分にとってのコンプレックスや辛かった話を誰かに聞いてもらう」というのは、聞いている側よりも、むしろ「話している側にとっての癒し」になるのだなあ、ということでした。僕は、「どうせ人というのは他人のことはわからないし、話してよかったと思うようなアイディアが出たこともないから」と、あまり他人に悩み相談をすることもなく人生を過ごしてきたのですが、良いアイディアを教えてもらうことではなくて、「黙って聞いて、受け入れてもらうこと」によって、人は救われることはあるのだ、ということなのですよね。田口さんは「若い子」の話をしておられますが、そういう「共鳴する力」というのは、けっして若者たちにだけあるのではないはずです。
「どうしてこんなお金にも名声にも結びつかない文章をずっと書いているのだろう?」って、悩むことがときどきあります。でも、そう思いつつも今まで続けてこられたのは、たぶん、こうしてここに僕が考えているさまざまなことを「静かに受け入れて読んでくれる人」がいるからなのですよね。そして、その「自分の言葉を受け入れてくれている人がいる」という事実は、雑誌で紹介されたり、感想メールを送られたりするような、目に見える「賞賛」や「実利」以上に、僕を癒してくれているのだと思います。僕はドラッグや暴力には縁がない普通の人間なんですけど、それでも「語ること」によって、かなり救われているし、なかなか現実に適応できない自分を、なんとか日常に立ち向かわせていくためのエネルギーを得ているような気がします。自分のコンプレックスというのは、身近な人にはかえって語りにくいものですし。
それにしても、今の世の中って、「聞きたい」人に比べて、「語りたい」人があまりにも多すぎますよね。「なんでリアクションが無いんだ!」なんて不機嫌になってしまう人もいますけど、実は「黙って聞いてくれる人がいる」というのは、この上なく贅沢なことなのかもしれません。
10月13日(金)
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