ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「私はモニターを通してはできない」
僕はときどき舞台とかコンサートを観に行くのですけど、やっぱり、その「現場」にいるというのには、大きな価値があるものなのだなあ、と感じることが多いのです。それは、「音圧」というような物理的な刺激においてもそうですし、その場の「空気感」という点においてもそうです。演劇で言えば、テレビやビデオでの「演劇中継」というのは、正直あんまり面白く感じられないことが多いのです。それは、その場にいることの「緊張感」が無いこととか、カメラがあらかじめ選んだ「ひとつの視点」でしか観られないということとか、周囲の観客の反応が伝わってこないこととか、いろんな要因があるように思われます。劇場で舞台を観ていると、テレビで「中継」を観ているよりよっぽど疲れるのは、それだけ「観ることに集中できる環境」であるということの裏返しなのでしょう。
映画にしても、『タイタニック』ですら、居間でお菓子をボリボリやりながらゴロンと横になって観ていれば(そして、いいシーンで携帯電話が鳴ったり、宗教の勧誘の人が家のチャイムを鳴らしたりするのですよこれが)、真っ暗で張り詰めた空気で満たされている映画館で観るよりは、はるかに「感激度」は違うはずです。確かに、何かを伝えようとするときには、「観る側の環境」っていうのは、かなり大きな影響があるんですよね。
ですから、この「夜回り先生」の講演だって、御本人がおられる講演会場では、それこそ咳払いをするのもためらわれるような雰囲気なのかもしれませんが、モニター会場では、聴衆も多少はリラックスして話を聞くことにはなるはずです。どんなに広い会場であっても、現場にいる人たちよりは、モニター会場にいる人たちのほうが、「伝わりにくい」のは間違いなさそうです。そして、「夜回り先生」は、「モニター越しにポテトチップを食べながら話を聞いている人たち」に傷つけられた経験があるのかもしれません。もともと「現場で子供たちに接する」ということに重点を置いて活動してきた人ですし。
その一方で、「直接話すこと」にこだわるのだとすれば、かなり効率が悪いことも事実です。テレビ番組に出演すれば、一度に1千万人の人に語りかけられるのに、同じだけの人に「直接話す」ことにこだわるとするならば、東京ドームを200回くらい満員にしなければなりません。それは、現実的にはまず不可能なことです。
正直、僕はこの話、けっこう気になるんですよね。「夜回り先生」は、ひょっとしてものすごく体調が悪いのでは?とか、ストレスで精神的に不調なのでは?とか想像してしまって。
「夜回り先生」は、最初の頃は、「たとえ誤解されることがあったとしても、自分が聞いた子供たちの声を世の中に届けたい」と考えて、本を書いたり、テレビに出演したりしていたはずです。
でも、この話からすると、先生は、「誤解を覚悟で多くの人に語りかける」よりも、「誤解を少なくするために、語りかける相手や状況を選ぶ」ようになってしまっています。
これは、「何かを伝えようとする人間」にとっては、かなり重大な「変質」なのではないかと、僕には思えるのですが……
08月31日(木)
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