ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
[10025940hit]
■恐るべき「本のしおり」たちとの遭遇体験
「三四郎はそれから門を出た」(三浦しをん著・ポプラ社)より。
(「本にはさむもの」というエッセイの一部です)
【本を読むときの作法には、人それぞれ、こだわりがあるだろう。中でも、「なにをしおりとして使うか」というのは、読書作法的に重要な問題だ。
古本屋で働いていたころ、「こんなものをしおりがわりにする人がいるのか!」と驚くようなものを、いろいろ目撃した。買い取った本のあいだから、しおり(および、しおりがわりのもの)がはらはらと舞い落ちる。そのたびに私は、人間の裏面を覗き見る思いがしたものである(ちょっとおおげさ)。
帯をしおりがわりにしている人は、けっこういた。あと、文庫や新書に挟まれている、「結婚相談所」や「新刊案内」の広告の紙。それらを細かく裂いては、読みやめるたびに挟んでいく人も多い。十数ページごとに点々と紙が挟まっているので、どういう割合でどこまで読んだのかが一目瞭然でわかる。後半になるにつれ、加速度的に挟まる紙の数が減ると、「物語にぐいぐい引き込まれたんだな」と推測して、こちらも楽しい気分になる。
事務用クリップやティッシュペーパーやお札をしおりとして使う人もいた。お札には気をつけて……。かなり多くの人が、本に挟んだことを忘れて古本屋に売っちゃってますよ〜。あ、もしかしてあれはしおりがわりじゃなくて、ヘソクリだったのかな。
「なにかを挟むなんて面倒くさい」とばかりに、ページの端っこを折っちゃう人もいる。2ページおきくらいにページが折れていて、「きみはもうちょっと落ち着いて本を読め!」と言いたくなるものもあった。
もちろん、しおりに格別に気を配る人も多いようだ。手作りらしき布製のもの。薄い金属でできたもの、細かい切り絵になっている紙のもの。革もあった。ありとあらゆる材質、デザインのしおりが、古本のあいだには挟まっていた。
すごく古いしおりや、素敵なデザインのしおりは、捨てずに作業場の壁に貼っておいて、店員みんなで眺めて楽しんだものだ。
しかし、上記のように無害だったり麗しかったりするしおりばかりではない。
世の中には、実に恐ろしい物をしおりがわりにする人が存在するのだ。覚悟はよろしいか?
まずは、陰毛。
文庫の「天(ページの上側)の部分から、何本もの縮れた黒い毛が、ぴょこぴょこと覗いているのだ……! 買い取った本の手入れをしようとページを開けかけた私は、「ひぃっ」と悲鳴をあげて、その本をゴミ箱に捨てた。
いったいなにをどうしたら、あんなものをしおりにしようという発想が生まれるのか。わざわざ抜くわけでしょ? 痛くないのか? わからない……。そしてその本を、平然と古本屋に売る神経がまた、わからない……。
次に、鼻○ソ。
もう、汚い話でホントにすみません。私もなるべくならこんな話はしたくないんだが……。
これまた、古本屋で作業中のことだ。文庫のページが開かない。なんだか糊のような、ゴロゴロした固形物であちこちのページがくっついちゃっているのだ。「なんだ?」とバリッとページを開いてみた私は、糊の正体に気づき、「ぎいやああああ!」とまたもや叫んだ。
なんという不逞の輩がいるのであろうか。本に、本に鼻○ソを挟むなんて! 紐のしおりがついてるじゃないか。おとなしくそれを使ってくれよ、頼むよ。だいたいこれじゃあ、読んでいる途中で前のページを読み返すことができないじゃないの。「ふくろ綴じ」を自分で勝手に作るなっつぅのー!
かく言う私は、本にあらかじめついている紐状のしおりや、広告がわりに挟んである長方形の紙のしおりを、ありがたく利用する。面白味のない、当たり前の読書作法で恐縮です。
たまに、けっこう厚さのある単行本なのに、しおりがついていないものがある。私はそういう場合、「んまあ、どういうことかしら!」とひとしきり憤ってから、カバーの折り返し部分を仕方なくページに挟む。この方法だと、本が傷んでしまう。やはりなるべく、本にはしおりをつけておいてもらいたいものだ。ぷんぷん。
(中略)
[5]続きを読む
09月01日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る