ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「十七歳であるが故」の完璧
この高橋源一郎さんの「解説」には、高橋さんが考えている「才能」について書かれているのですが、【十四歳から十七歳にかけて、青春前期とも呼ぶべき、この数年間を、ぼくは特別な時期だと考えている。】というのを読んで、僕も先日実家で、自分が高校の頃に書いていた文章を見つけて、その考えの「青臭さ」に苦笑しながらも、なんだか、その頃の文章のほうが「面白い」ような気がしてならなかったのを思い出しました。残念ながら、当時の僕の興味は、「読む」ことや「ゲームで遊ぶこと」に向いていて、「書く」というのは片手間の気分転換にすぎなかったのですが、それでも、僕なりに「あの頃にしか書けない文章」というのは、存在したのではないかと、今になって思います。「天才」とは程遠い僕にでも、そういう時期があったのです、たぶん。妙に分別くさくなってしまった今では、絶対に届かない「何か」が。
高橋さんは、この文章のあと、【デビュー作『インストール』の「完璧さ」(と初々しさ)は、彼女が、その「天才」たちの仲間であることを証明しているだろう。だが、それだけではないのでははないか、とぼくの(小説家としての)本能は告げるのである。】と書かれています。そしてそれは、何かの時代の終わり、あるいは始まりなのではないか、と問われています。
「たとえそれが『贋金』であっても、ぼくは書き続けたい」という高橋さんの言葉は、「才能」を形にするには、「一瞬のきらめき」とともに、一種の「執念」のようなものが必要であり、そういう持続力がないと、職業作家としてやっていくのは難しい、ということを示しています。「才能」があっても、それをうまく形にしていくというのは、本当に難しいことなのです。そういう「瞬発力」と「持続力」は、両立することのほうが珍しいのだろうし。
綿矢りささんは、そういう「一瞬のきらめきのような才能の時期」に現れ、これから、「では、その『きらめき』というのは、年齢を重ねたらどうなるのか?」というのを問われていくわけです。
正直、僕にはこの高橋さんが書かれている「才能」の正体は、はっきりとはわかりません。でも、綿矢さんには、すごいプレッシャーがかかっているのだろうな、というのは間違いないようです。
10月23日(日)
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