ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6881,閑話小題 〜急遽、変更して…
* 24歳の私との対話
テーマ日記を書上げ、過去文を読返すと、去年の文章に引き寄せられた。
40歳の私との内的対話である。それでは昨日、74歳の誕生日をむかえた私と、
50年前の24歳の私との対話が面白そうと… 人生真只中で、五里霧中。危なく、
際どくなるから止めておいた方がいいか? 何やら、刃を首元に突きつけられ、
息も出来ない程に追い詰められていた。如何に己の力がないことを、思い知り、
立ちすくんでいた。 受動から能動に変わるために、モガイテいた時節。
よくぞ、精神の変調をきたさなかったと… 24歳が男の人生で一番危ない時。
考えてみたら、現時点の74^5歳も際どく危ない時節。危ないもの同士の対話も、
味が出る?
≪ 現在の私: まあ大変だったが、通らなければならない壁の時節。
24歳の私: 1970年。まあ、激動の年。ただ、日本は、希望に満ちていた。
現在の私: 誰もが、焦っていた。世界が社会主義化の渦として流れていた。
新時代への原野というところ… とにかく、足を踏み出すしかない。
24歳の私: 父親の存在が大きかった。暗黙の父親のサインを読取り、それに
沿って意志判断を下していくしか術がない。
74歳の私: でも、着実に足元を踏み込んでいた。若いからだろう。
上(後年)からみても、疲れるよ。両親の創業は家族10人が生きていくための
創業。ただ独り、足を踏み固めるのは所詮は無理さ。
24歳の私: 後には退けないもの! 前よりに傾くしかないでしょう。
寂しかったというより、悲しかったね。誰にも手を差し伸べらなかったし、
縋りつく手もなかったし、あるのは、見守ってきれた両親の視線。
74歳の私: でも、学生時代に出あった先輩諸氏の中には、こんなものじゃ
ないほどの苦労人がいたね。そうだよ、誰もが通る20歳代の独り道さ。
24歳の私: 50年後に、74歳の彼方(私)に、こうして慰められるとはね。
それも誕生日の翌日にね。ところで、24歳の私が彼方に質問したいのは、
何ですか、この結末は? ブラックスワンの到来は解らないでもないがね。
74歳の私: 言訳も何もない。ブラックスワンってのは、何もかもを奪うもの。
父親がね、口を酸っぱく言っていたね。突如、思いもしない濁流が、襲う
前提で、シェルターを準備すべしとね。私は、個人と会社組織を長年かけ
別口にしておいたのが幸いした。これも、親からの教え、体質。
24歳の私: その後、40歳の私と対話をしているね。あれも酷かった。
74歳の私: 生まれた直後な第二次世界大戦の敗戦の翌年に生まれたんだから。
以来74年、長いようで短かったが、まあ、極上の人生と言ってよかった。
ありきたりだが、時代と、両親と、周辺に恵まれていた。あんたの年頃が、
人生で一番、恵まれていたね。20歳代に人生の問題を吐出していたのがね。
24歳の私: 自分って何だったの? 自問自答の底が浅いとつくづく思うの。
74歳の私: ここまで生きられ、行蔵を貯められたのを、24歳の私に知って
もらっただけで充分さ。
24歳の私: 当時、取組んだ『カードファイル日記』を、ブログに替えて、
19年近く書き続けているね。それを知ってね、独りで涙している。独りの
世界の構築ってのはさ、何もかも独行で、独白でね、それを良しとしてね。
74歳の私: 誰に語るのではなく、自身に語ることさ、それも良心にね。
・・・・・・
6516,閑話小題 〜40歳の私との対話
2019年01月16日(水)
* 何でまた、こんなテーマを?
〜ライブそのままで、さて如何なっていくのでしょうか…
≪ 40歳の私: 1990年ってさ。バブル崩壊とソ連・東欧圏の崩壊が重なった年。
それでも毎日が楽しくて、面白くてね。1989年12月にスペインに行ってね、
バルセロナの公園で、中高年の男たちが自然集会のように集まって、何か
を議論していたね。その時、これは只事でないとね。その帰路、ローマに
立ち寄った時に、ツアー仲間から離れてオプションで、地元会社のツアー
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01月16日(木)
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