ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6767,閑話小題 〜母親の命日、忘れるところだった!
   * 母の23回忌ですか
 今日の随想日記を書上げて、過去文を振返ってみて、母親の命日と、初めて
気づくことになった。迂闊だったが、朝方気づいただけでも良かった。命日に、
話題にするのが故人への一番の供養。明治、大正、昭和、平成の時代に生きた
ことになる。母への想いは、ここで何度か書いてきた。
 「分類コーナー」の<検索>を入れると、即座に過去文が幾つか出てくるのが
有難い。 毎年、その都度、真正面から向き合えるのがよい。 末息子のため、
両親に溺愛され、育ったのが私の特性。時代の変遷と、何れの世界でも辛うじて
生抜けたのは、その温みが自分を包んでいる御蔭。両親との仲が良いか悪いかで
人生が大きく変化する。
 
 父親が酒のみで、博打好きで、家に殆ど金を入れず、長男故に中卒で地元企業
に就職、夜間高校を卒業後、地方公務員試験を合格し、消防士になって人生を
全うしてきた中学校の同期生がいる。 普通の人生をおくることの難しさ、逞しさを
彼の中に垣間見た。それに対し、己の置かれた立ち位置が如何に恵まれていたか! 
父親の実家は恵まれ、母親系は、二ランク落ちで、小姑に虐められた話を幼児の
頃から聞かされ育ってきた。貧しさは、その子供たちを卑しくする力が働くため、
人生計画を着実に実施すべきと、誰も助けてはくれない、自分自身の知恵を使い
生きるべしと…母親から教わってきた。両親と、時代には当たったが、問題は、
己の能力。省みて、読み返すと、言いたいことが、そのまま書いてある。

・・・・・・
2016/09/24
閑話小題 〜母親の命日に

  * 今日は、母親の20回忌。
 昨年の母親の命日には、それまで書いてきた母親について纏めてあった。
10数年、毎日、書き続けてきた過去からの贈り物である。自画自賛になるが、
もし子供に、亡くなって20年近く後に、このように想い出してもらえたら、
幸せだろうに。 末っ子で特別視された恩返しと考えれば当然だが。
 親子の関係は、特に父親との関係は、シックリいかない永遠のテーマ。
順調にエリートコース?を歩いてきた知人が、ある時、深刻そうに、
『何か私は、父親に愛されなかったような気がする。』と、話してくれた。
最近、特に思うのは、『人格の背骨は、両親の愛情で作られている』である。
末っ子は末っ子で、兄・姉から軽く扱われ虐められ、大変だったが、両親からは、
「特別扱いされ、何があっても守られ、許される」という妙な甘い意識があった。
 父親が亡くなってから、複雑な家族環境のため、「独り立ち」が、否応なく
求められた。そこから、両親から受けた愛情と精神の背骨を感じるようになった。
 次々に立ち塞がる難問に、「父なら如何しただろう?」の自問自答で湧き上る
知恵に大いに援けられた。その上、同居の老いた母親の温みが直に伝わっていた。
 追)去年、母親について書いた文章を纏めたが、もし、それをしてなかったら、
  昨日、一昨日、時間をかけて同じことをしていたはず。私は去年も、今年も
 同じ私である。母は父と伴に、戦前、戦中、戦後を生き抜いてきた。
常に何かを目指し努力をしていた後ろ姿を垣間見えていた。会社清算の痛みも、
「痛、痒い!」と思えるのも、万一の備えの上に、両親の修羅場を見ていたため。
70年の人生を振返ると、両親の懐で、面白、可笑しく、生きてきたと実感する。 
父の口癖、「死んでしまえば、それまでよ!」では、決してない。死んだ後にも、
背骨として子供たちの中に生き続けている。ところで私は 子供に対し、両親の
ように膨大な愛情を与えてきたのだろうか? それにしても、甘さ丸出しで、
ネホリハホリ書いたもの。

・・・・・・
2015/09/24
閑話小題 〜今日は母親の命日

  * 今日は母親の命日
 今日は母親の命日、19回忌になる。早いものである。
ほぼ毎年、父の命日には思い出などを取り上げるが、振返って調べると、
母の命日には、時どきしかなかった。しかし、その前後に夢に必ずといって
いいほど出てくる。昨日の朝方も、夢に出てきた。寝室の二つの

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09月24日(火)
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