ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6269,閑話小題 〜情報の階層化について −1
* 「情報貴族と情報難民」から見える社会
17年前から個人HPを、10年前からは炎上・喪失に備えて、ブログを始めた。
これに日常のチョイメモ的に、三カメ的なブログも同時進行的に維持している。
これらのブログの作成、そして維持を通してネット社会に、何とか後れを
とらないで済んだ?。 私の弱点は文書管理。会社のそれは、得意分野の人に
丸投げをすれば、事足りるが、個人のそれは最も不得意の分野。
振りかえ見ると、「大学ノート」に情報、コンテンツを時系列に日記帳的に、
まとめて残しておけばよかったと… そのネット版が、これともいえる。
情報社会の到来で、現実社会をネット社会がスッポリと覆ってしまった。
10年で100倍、20年で1万倍の情報進化の結果、世界の多くの人の掌に、小型
PCが行き渡ってしまった。これにタブレットPCが加わり、TVは大型化、かつ
格段に鮮明になり、人間の視覚を遥かに超えてしまい、更にネットに繋がり、
スマートフォンと連動を始めた。そこに出てくるのは、情報格差の問題。
格差の結果、一番、個々人に影響するのは「『情報格差』。二桁上に、
下にも、ただ黙るしかない。で、これを書き続けているが…
肌で感じるのが、これは深刻な問題になる。インドの貧民街の少女の方が、
アメリカ大統領より遥かに済んだ目線で、世界の行く末を看破している
可能性が大ともなれば…
――
《『街場の読書論』内田樹著ー歩哨的資質についてーより》
≪ 情報格差が拡大している。
一方に良質の情報を選択的に豊かに享受している「情報貴族」階層がおり、
他方に良質な情報とジャンクな情報が区別できない「情報難民」階層がいる。
その格差は急速に拡大しつつあり、悪くするとある種の「情報の無政府状態」
が出現しかねないという予感がする。
このような事態が出来した理由について考えたい。
少し前まで、朝日、読売、毎日などの全国紙が総計数千万人の読者を誇っていた
時代、情報資源の分配は「一億総中流」的であった。市民たちは右から左まで
のいずれかの全国紙の社説に自分の意見に近い言説を見いだすことができた。
国民の過半が「なんとか折り合いのつく範囲」のオピニオンのうちに収まって
いたのである。これは世界史的に見ても、かなり希有な事例ではないかと思う。
欧米には「クオリティ・ペーパー」と呼ばれる知識階級の日刊紙が存在する。
それはせいぜい数十万の「選ばれた」読者しか対象にしていない(『ル・モンド』
は35万部、『ガーディアン』は25万部)。日本には「クオリティ・ペーパー」
が存在しないことに非を鳴らす人がいるが、「クオリティ・ペーパー」は階層
社会に固有のものであり、権力と財貨と文化資本がある社会集団に集中している
場合にしか成立しない。日本にそれがなかったというのは、「一億総中流」の
日本社会が欧米ほど排他的に階層化されていなかったためだと私は理解している。
日本のマスメディアの欠点とされる「個体識別しがたさ」「横並びの凡庸さ」で
さえ、情報資源が全国民に均質的に分配される「情報平等主義」を達成したこと
の代償と言えないことはない。
その「情報平等主義」がいま崩れようとしている。
理由の一つはインターネットの出現による「情報のビッグバン」であり、
一つは新聞情報の相対的な劣化。人々はもう「情報のプラットホーム」を共有
していない。私はそれを危険なことだと思っている。 私が小学生の頃、親は
朝日新聞と週刊朝日と文藝春秋を定期購読していた。私は(暇だったので)
寝転んでそれらを熟読した。それだけの情報摂取で、世の中で起きていること
について(政治経済からファッションや芸能まで)小学生でさえ「市民として
知っておくべきこと」はカバーできた。思えば牧歌的な情報環境であった。
全国民が同じような事実しか知らず、同じようなことに興味を持ち、同じような
意見を口にしていた時代(紅白歌合戦の視聴率が80%を超えていた時代)が
かつて存在し、今消え去ろうとしている。
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05月13日(日)
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