ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6268,閑話小題 〜「これ以上はいけない」と宣告する境界線 −4
 
 以前ほど、ユングの集合的意識(普遍的無意識)について語られなくなったが、
それでも心理学の主流を占めていることは違いない。ユングは何気なく描いた
自分の絵が曼荼羅に似ていたのに気づき調べてみると、世界中に似た模様がある
ことに気づき、それは神話にも共通点が多いと知る。それまでフロイトが見出し
た無意識のもっと奥底に、人類に蓄積された集合的無意識があるのではと考えた。
共通したイメージ、原型である。これも知らざる世界の門戸である。
以下では、刑事の能力の中に、「知らざる能力」の柵の向う側の世界を垣間見て
いる。          
            《『街場の読書論』ー歩哨的資質についてーより》
≪ 先日、こんな記事を読んだ。   
 大阪京都両府警の捜査官が広域事件について打ち合わせしたとき、京都府警の
刑事が「こういう事件もあるんです」と、ある空き巣事件の容疑者の写真を大阪
の刑事に示した。打ち合わせが終わって外へ出て10分後に大阪府警の刑事は
近くの競艇場外発売所近くでその容疑者を発見した。この捜査員は雑踏の中から
指名手配犯などをみつける「見当たり捜査」の専門家だったそうである。
「そういうものだ」と思う。
彼らは警察官の視野から逃れようとする人々が発する微細なオーラを感知する
能力を備えている。 「職務質問」というのは組織的にやるものではなく、
「挙動不審」な人間をピンポイントして行うものである。 「挙動不審」という
のは、チェックリストがあって、そのスコアが高い場合にそう判断するという
ものではない。 遠くにいる人間の、わずかな眼の動きや呼吸や心拍数の変化の
ようなものが「際だって感知される」場合にそう言われるのである。
そういう能力を持っている人が警察官になるべきであり、これまではなってきた。
警察という制度はそのような能力を勘定に入れて制度設計されている。
私たちは刑事ドラマを見ているときに、刑事たちが街中であまりにも容易に挙動
不審な容疑者と偶然遭遇するのを「ご都合主義」だと嗤うことがあるけれども、
警察の捜査というのは、もともと「そういうもの」なのである。
だが、挙動不審な人間を感知する能力や嘘をついている人間とほんとうのことを
言っている人間を直感的に見分ける能力などは、その有無や良否をエビデンスに
よって示すことができない。本来は捜査員の採用のときには、「そのような
エビデンスをもって示すことのできない能力」の有無を基準に採否を決すべき
なのである。でも、エビデンスをもっては示すことのできない能力の有無の判定
にはエビデンスがないので(当たり前だが)、現在の公務員採用規定ではこれを
適用できない。そのせいで、わが国の司法システムは劣化したのだと私は思っている。
冤罪事件が多発するのは、司法システムが「嘘をついている人間と真実を述べて
いる人間を直感的に識別できる能力」を備えた司法官が一定数存在することを
前提に制度設計されているからである。 司法官の少なくとも一定数は物証がなく
とも、自供がなくとも、証言の真偽を直感する力を備えていると想定されている。
「裁判官の心証形成」という不思議な法律用語があるが、これは裁判官が
「複数の解釈可能性のうち、ある解釈を優先的に採択したくなる気分」のことである。
「気分」に法律的な力が認められているのは、司法官(の少なくとも一部)には、
「証言の真偽を直感的に判定する力が備わっている」ということが司法界では
広く信じられていたからである。そのような能力を備えた人間が一定数存在する
ことを前提にしてつくられた制度が、まったくそのような能力を持たない人間に
よって運用されるから冤罪事件が起きるのである。
シャーロック・ホームズのモデルのエジンバラ大学医学部教授ジョーゼフ・ベル
は患者を一瞥しただけで、出身地や職業や疾病歴を「言い当てる」ことができた。
医師(の少なくとも一部は)そのような能力を有しているということを勘定に
入れて医療制度は設計されている。

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05月12日(土)
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