ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383663hit]
■6122,閑話小題 〜日本海の夕陽
* 日本海の夕陽も絶品
☆ 感動ものの夕景は地元でも数知れず。その美しさは海外だけではない。
長岡近郊の港町、出雲崎の高台に、名前からしてロマンチックな、『良寛と
夕日の丘公園』がある。そこから、右手に弥彦山、眼下に良寛堂、出雲崎漁港、
海岸線に沿って続く旧北国街道の‘妻入りの街並’をながめることができる。
この夕景は新潟名百景100の一つ。
☆ また新幹線通勤の車窓から、秋口の帰宅時間に新潟駅より見える出発直後の
夕映えの真っ赤な夕日が良い。それから何日かすると、今度は長岡駅に到着する
5分前の山麓に沈む夕日も感動もの。30年、見続けたが、言葉を失うとはこのこと…
☆ 45年前20歳代半ばになるが、能登半島の夕景も鮮明に記憶している。
金沢勤務の休日に、能登一周をドライブした帰路に見た日本海の夕映え。
今では「千里浜なぎさドライブウェイ」として観光化しているが、当時は、
地元民しか知られてない穴場。現在は、能登半島外房の砂浜の約8 kmの観光道路
で、千里浜と今浜の出浜の各海水浴場も兼ねている。日本で唯一、一般の自動車や
バスで海岸線の砂浜の波打ち際を走ることができる道路。このような道路は世界的
にも珍しく、アメリカのデイトナビーチ、ニュージーランドのワイタレレビーチ
を含めて3か所だけと言われる。それぞれの人生の時節に、様ざまな味わう光景が
あった。これらの蓄積が、以下の夢を生み出す。それにしても、脳は凄い!
厳しく、辛い極限の時節ほど、様ざまな光が射し込んでいた。当時は
気づかなかったが…。 辛いだけ、何事も絶対肯定。 特に老年は!
夕映えが、それを教えてくれる。
それも、<肯定 肯定 絶対肯定> いや時々、否定も必要? 如何?
――
2015/06/16
昨日の朝みた夢の「夕陽の美しさ」
* こんな美しい情景をみたのは初めて
昨日の朝みた、夢の中の「海に沈む夕景の美しさ」には驚いた。
右手の海に、まさに沈まんとするオレンジ色と、赤と、紫と、金色が混合して
縦に紫色の海に突き刺さった光景に、我を忘れ魅入ってしまった。近くから
『ここで日没を多くみてきたが、こんなのは初めてだ!』というため息交じり
の声が聞こえてきた。その直後に目覚めたが、その感動の光景はクッキリと
残っていた。画家は、こういう夢を多くみるのだろう。それにしても、脳は
凄い画家としての創作能力があるもの。お近くなってきた? 現実に、この
ような日没の感動を積重ねをもとに、脳が創作をしたのだろう。
ケニアのサバンナ、ギリシャのエーゲ海の夕景、坂出の瀬戸内海の夕陽、
カトマンズの郊外の夕景、シリアのパルミラ遺跡の近くの高台からみた日没。
そういう視点で思い出したら、あるある、いくらでも。それぞれのTPOSの背景が、
その夕映えをクローズアップする。
* 「折々のことば」(鷲田清一) 〜朝日新聞一面より
〜人類学者は「ヴュジャデ」を通じてひらめきを求める。(トム・ケリー)〜
《 はじめて見るのに、かってどこかで見たことがあるように思うのがデジャヴュ
(既視感)。 ヴュジャデはその逆で、見なれたものをまるではじめて見るかの
ように見ること(未視感)。駄洒落である。偉大な発見はたいてい、ありふれた
ものを新しい目で見るところから生まれる。
〜米国の経営者による「イノベーションの達人!」
(J・リットマンとの共著、鈴木主税訳)から。 》
▼ 「既視感」に対し、「未視感」は、いいえて妙である。このところ、自分を、
「未視感」で改めてみている。また、過っての旅行先をネットサーフィンで、
他人目線の写真をみるのも「未視感」になる。 毎日、御対面する、自分の十数年
分の文章も、そう。
・・・・・・・
3553, 「閑話小題」 が一番面白い?
2010年12月17日(金)
「閑話小題」は書くネタが出尽くして、仕方なくメモがわりに書いた
中途半端な文章を小題として、幾つか重ねたもの。読者からみたらバレバレと
思っていた。だから、しゃ〜ない「B級品」と割り切っていた。その半分手抜き
[5]続きを読む
12月17日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る