ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5924,閑話小題 〜帰りの宇宙船内で 〜4
* 母親と供に
宇宙船内の両親の席の母の隣に座り、一方的に話した内容とは。
≪ 父親も尊敬してましたが、貴女も人間として見上げる存在でした。
亡くなった時、医師の希望の解剖の結果、心臓の4分の1が壊死していたこと
を知り愕然としました。2人の息子を死なせ、母としての責任と後悔で重度の
ノイローゼに陥ってしまったことは知っていました。それでも、心臓が四分の一
も壊死していたとは。 中学校2年の時に、夜半、心臓発作のため、立川病院の
院長自らが駆けつけて、止まりかけた心臓のマッサージをしながら、大声で、
『堀井さん、自分で生きようとしなければ助かりません。苦しくても生きたいと、
思って自ら立ち上って下さい!』と絶叫していたのを覚えています。
言語に絶する苦しみが当時の私に伝わっていたと思ってましたが、殆ど分かって
なかったということですよね。 白髪が逆立ち、両手を上に突きあげ。私を見て、
「助けて!」と、絶叫していましたね。 その急場を乗越えた後、少しずつ病状が
良くなっていく過程で、新興宗教に助けを求めたり、宗教書や倫理書を熟読する
ことで、苦しみの種を、一つずつ取除いて立上っていく姿を身近で見ることが
出来ました。貴女の生い立ちは、生れて直ぐに父親が亡くなり、男後家の義父に
苛め抜かれたと、ことあるごとに聞いてました。実母も義父に気遣い、表向き
幼女の貴女には冷たくしていたと。 親からの直の愛情を、子供に与えられた
経験のなさが、仕事の忙しさも手伝って、目先、ガムリャラに生きるしかなく、
息子の不幸を招いたと、聞いていました。これは子供の私たちにも影響をあった
ようです。 その反動が、私に集中し、孫のような特別待遇をして貰いました。
結果的に、それが良かったか、悪かったか。貴女は、子供でも分かるような、
宗教書や倫理の本を何気なく、茶の間において、自然に読ませてくれていたのが、
間接的教育だったのですね。
10年近くの重度のノイローゼの中で気づいたことは、「過酷の環境下での、
『無教養』が、取返しのつかない不幸の原因だった」ということですよね。
私自身も、「知識の絶対的不足」に気づいたのは、地元を離れた学生時代。
オープンハウス的な寮生活で、全国の多くの人と、私生活を共有したためです。
「面白い共同体の寮があって、実に社会勉強になる」と、何処かから聞きつけ、
放り込まれましたが、その実態について、殆ど話した事はなかったですが…
これが絵に書いたような雑多の家庭事情を持った玉石混合の25室の寮。その部屋
には、その友人も多く出入りをしており、良いにつけ悪いにつけ、赤裸々な様々
な品位を垣間見ることが出来ました。これが、面白い別次元の空間。都会の寮や、
アパートなら、こんなものでしょうが…
そういう貴女と33年間も同居することが出来、あまりに多くを学ぶことが
出来たことが、この地球ツアーで一番の成果だったようです。両親にならって
何が創業人生を目指してきたのが、この程度で、です。
『ご覧のとおり、そのまま結構!』とは、あなた方を省みると、決して
言えません。何はあれめぐり会えたことが、一番の感謝すべき幸運だったと、
黄昏の日々を過ごしています。≫
ー
▼ 書いて初めて気付くことが、あまりに多い。愛情は与えることであって、
受けているだけではダメということですね。
・・・・・・
5559,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜@
2016年06月04日(土)
最近になって、『男はつらいよ』のシリーズの再放送を見なくなったが、
以前は、再放送の度、何度も観ていた。もちろん48作の全部を観ている。
TVの再放送を含め平均3回を観たとして、150回は観たことになる。
特に浅丘ルリ子の、リリー役ものは、5〜6回以上は観ていた。この映画が
始まった1969年は、新社会人として、四日市、神戸、桑名と、転勤生活の中で、
家族の温みを寅さんの実家の団子屋の中に温みに求めていたようだ。
精神分析医と、『男はつらいよ』の山田洋次監督の対談が、なかなか面白い。
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06月04日(日)
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