ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5891,『しあわせ仮説』 〜心の「象と象使い」
『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著
象に鎖を繋ぐと、何度か抜こうとするが、駄目と諦めると、二度と引こうと
しなくなるという。人間も、現象として見えないが、似たようなもの。ここで、
「象と象使い」の例えを、「本能と理性」「意識と無意識」などに例えている。
しかし、この象が本当に何をしたいかと思ったら、象使いも彼にはかなわない。
ハッピーな象使いに、ハッピーな象が当たる? が、その確率は一割以下?
まあ、世の中を見れば直ぐにわかる。何とか折り合いがついているようだが。
* 心の「象と象使い」
≪・著者は私たちの心を「象と象使い」に例え、本能と理性、無意識と意識など、
いろんな言い方がありますが、象使いというのはわかりやすい例えと思います。
「象使いは、象がより良い選択をするのを助けるために象の背中に乗っている。
象使いはより先の未来を見通すことができ… 貴重な情報を習得できるが、象の
意志に反した命令をすることはできない」
・また本書の「幸せはあいだから訪れる」という考え方、
「だから、知恵を探すなら、けっして見つけられないと思うような場所、つまり
あなたに相反する精神の中を探すべきである… 純粋悪の神話という目隠しを
取り去ることができたら、そこではじめて何らかの良い思想に出会えるだろう」
・<幸福は「あいだ」から訪れる>。あなたと他者のあいだ、あなたと仕事の
あいだ、あなたとあなたより大きな何かとのあいだに、正しい関係を築くことで
訪れるのだ。わたしは、アメリカ人よりも日本人の方がこの考えに対して納得し
やすいのではないかと考えている(「日本語版への序文」)」。
・著者ハイトは、人間の欲求や感情の強さと、それをコントロールするはずの
意志や理性の弱さを、「象(欲求・感情)の背中に乗った象使い(意志・理性)」
と表現する。自分自身の行動について、理性にもある程度はコントロールする力が
あるが、主導権は感情に握られている。「私は手綱を握り、あっちへ引っ張ったり、
こっちへ引っ張ったりして、象に回れ、止まれ、進めなどと命令することが出来る。
象に指令することはできるが、それは象が自分自身の欲望を持たない時だけだ。
象が本当に何かしたいと思ったら、私はもはや彼にかなわない。」≫
―
▼ 夫婦関係も然り。お互いが象であり、象使い。どちらかというと、象使いが
妻の傾向が強い?…「自分管理をしようとしたら、自分自身を幼児のように扱え」
と。 優しく、丁寧に、繰返し、褒めて、時には厳しく、前向きなプラス思考で、
成功体験と、大自然と芸術を可能な限り触れさせ、感動と感激を最大限に経験させ、
愛情を無条件に注ぐこと。実際は、自分に逆ばかりをしている。周りに影響され、
同化してしまうため。象だけならまだしも、象使いも自分の手に鎖をかけている。
無知は悪であり罪と、つくづく考えさせられる。これは他者の合せ鏡で、察知
するしかないが… 狂暴なのもどうだが、大人しいのも… 鈍重なメス象も?…
〜で、文脈として去年の同月同日の内容につづく〜
・・・・・・
5526,若者よ、外に出よ! ーD 世界の祭り
2016年05月02日(月)
* 祭りから世界の楽しさを知る
『若者よ、まず楽しさを経験しろ!』である。「嬉しい、楽しい」という
感情が、人間を突き動かすことになる。ゲームでも、ミニ祭りの飲み会でもよい。
その極地が街レベルで行われる祭り、それも世界的祭りの楽しさを知ること。
世界最大の祭りといえばクリスマスだが、ど派手な祭りの、ブラジル
の「リオのカーニバル」と、北スペイン「牛追い祭り」を体験してみた。
その熱狂の渦が全ての人を恍惚に誘う。この2週間の北スペインのバスツアー
は、これまでのツアーのベスト5に入れることが出来る。祭りは、原始人の頃
から営なわれていたことは壁絵から推察される。生き抜く苦労と、その憂さ
晴らしは、古代も現代も同じ。祭りには時代の文化が現れ出る。
大相撲も神事で行われていたのが始りだった。 祭りは実に楽しい!
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05月02日(火)
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